9 research outputs found

    How Person-Centered Therapy is Perceived by Beginning Therapists : Searching for Better Training Methods

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    パーソン・センタード・セラビー(PCT)は他の学派、特に認知行動療法などと異なり、それぞれのセラピストが個人としてのgenuineな関わりを行い、定式化されたあり方がないため、初学者は学びにくい。加えて、PCTにとって重要な中核条件(Rogers1957, 1959)は内的な体験(Bozarth 1997)であるために、そこに到達するためにどんな努力をすればよいか分かりにくい。PCTが初学者にどのように感じられ、理解され、どのようなイメージを持たれているのか、を知ることは今後の初学者の教育・訓練を考える上で意味があると思われる。それはまた、初学者にとっての困難を知るだけでなく、PCTの理論の中で十分に展開されてこなかった領域を浮かび上がらせる可能性さえある。本研究はインタビューを通して初学者のPCTに対するイメージ等を調査し、その教育や理論について示唆を得ることを目的とする。It is not easy, particularly for beginning therapists, to learn Person-Centered Therapy (PCT), because it requires practitioners to relate to clients as genuine persons and, consequently, does not have fixed ways of functioning as therapists, in contrast to other orientations, especially Cognitive-Behavioral Therapy. In addition, it makes it difficult to learn how to reach the core conditions (Rogers, 1957, 1959), which are essentially "internal experiences" (Bozarth, 1997). It seems important to examine how PCT is perceived, understood, and felt by beginning therapists in order to get ideas on education for beginners. Such examinations may illuminate the unexplored fields of PCT theories. The study aims to examine the perception of PCT by beginning therapists and to come up with better training methods for them

    特集:パーソン・センタード・セラピーの展開 : 他者の倫理に基づくセラピーとは : Goodman et al.(2010)“The Heroic I”の紹介

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    近年、パーソンセンタード・アプローチ(以下、PCA)において、Levinas の他者論をセラピー理論に援用する取り組みが注目されている。これらは、セラピスト(以下、Th)を主体、クライアント(以下、Cl)を他者として論じるものがほとんどだが、Goodman et al.(2010)は、Thを、Clにとっての他者とみる視点からセラピーを論じている。Goodman et al.(2010)は、LevinasやBeckerを引用しつつ、現代社会、そして現代心理学が、いかにヒロイックな自己中心主義に支配されているかを論じる。そのような自己は、他者に開かれず、他者の声を聴くことがない。自己は自己の存在に閉じ込められ、孤立している。このような孤独や閉塞感を抱えるClとのセラピーにおいては、Clが自身の存在の同一性を超えて、他性と超越の次元に開かれる機会を提供することが求められる。Levinasは、自分自身の同一性においてアイデンティティーを確立することが決して許されないような自己を主張した。これは絶え間なく問いただされる自己である。現代心理学的自己もまた、問いただされ、曝され、そして正義に導かれる必要がある、というのがGoodmanの主張である。PCAも、Goodmanから見れば、人間の自然な状態を前提とした、エゴイスティックな心理療法の一つといえよう。この批判を受け、PCA理論の自己中心性について考察する。他者に開かれることの意味を追求することは、出会いを重視するPCAの対話的アプローチや、エンカウンターグループの意義を先鋭化させ得るだろう

    多元性に着目したPerson-Centered self理論の新たな展開 : Configurationとは何か

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    Rogersのパーソナリティ論は、治療論とセットになっており、自己(self)が体験とどのように関係するかが重視される。本稿はRogersのself理論を多元的に発展させたMearnsのconfigurationという概念を紹介し、考察を加えるものである。Configurationとは、(前)象徴化された感情・思考・行動の一貫したパターンであり、いくつものconfigurationの総体がselfであるとされる。他者からの取り入れや自己不一致の周辺にもconfigurationは発生し、同化・自己成就・再構築を繰り返しながら発展し続けるとMearnsは考える。多元性や流動性を強調した視点は、ThのCl理解や受容を助け、実践面での貢献は大きい。しかし、configurationという概念が却ってClへの見方を固定化させてしまう危険性があるなど、Thが留意すべき点もある

    Person-Centered Therapyにおける心理的接触のあり方 : Relational depthでの出会いとは

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    Person-Centeredの対話系に位置付けられるDave Mearnsは、心理的接触に関する概念「Working at Relational Depth(以下、WRD)」を発展させてきた。本稿は彼の著書である「Working at Relational Depth in Counselling and Psychotherapy」の一章を紹介し、考察を加えるものである。WRDは、6つの必要十分条件が全て高水準に存在するときに生じるものであり、Thの態度だけでなく、Clの応答も重要な要素の一つだとされる。Thの透明性と自己一致は基本であり、Thとしての役割ではなくその人そのもので出会っていく必要がある。一方 Clは、Thの共感や肯定を受け入れ、Cl自身も Thに開かれていこうとする姿勢が求められる。Relational depthでは、ThはClを理解し、ClはThに理解されていることを認識し、さらにThはClがそう認識していることをも理解している、ということが起こる。Mearnsは、こうした深い出会いの体験にこそ治療効果があると考えている。WRDは、セラピーの中でThがしっかりとした他者性を持ったありのままの自分であり続けることを要求する点で、同じく対話系である古典派の論とは大いに異なる。Thが自分自身でいることは、好き勝手に振る舞うこととは区別される。しかしその境目を見極めるのは難しい。本書ではMearns自身のTh体験がありありと開示されており、自分全体で応じるということが読者自身にとってはどういう態度であるのかを吟味するヒントになるだろう。特集:パーソン・センタード・セラピーの展

    パーソン・センタード・アプローチにおける 「出会いの関係」から考えるプレゼンス : Schmidの論文から学ぶⅣ

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    本稿は、他者との出会いの関係における接触と知覚という観点からプレゼンスについて論じたSchmid(2002)の"Presence: Im-media-te co-experiencing and co-responding. Phenomenological, dialogical and ethical perspectives on contact and perception in person-centred therapy and beyond. を要約し、考察を加えたものである。Schmidが主張するプレゼンスとは、現在その瞬間において他者を「ひと」として知覚し、また自分自身も「ひと」として存在することである。このことは、本物であること(Authenticity)、承認(Acknowledgment)、理解(Comprehension)という中核3条件の現象学的な記述により詳細に説明されている。Cl-Th関係において、ThのプレゼンスをClが知覚することにより、Clはより促進され、Thとの相互関係が可能になる。プレゼンスに基づいたこのような関係は、パーソナルな出会いの関係と呼ばれている。また、Clとの最初の出会いがパーソナルな出会いの関係に発展する過程における内省の重要性が指摘されている。その場の体験を内省することが、新たな影響を与える体験につながるのである。そしてCl-Th関係の中で、ClとThはますます共同体験、共同内省するようになる。末尾では、パーソン・センタードのThには、「私」という自己の在り方そのものが問われることを指摘し、プレゼンスが流動的な「私」という自己の在り方という観点から捉え直される可能性について言及されている。特集 : パーソン・センタード・セラピーの展

    人が「ひと」として本物であること : Schmidの論文から学ぶⅠ

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    本稿はパーソン・センタード・アプローチにおける本物であること(authenticity)について、対話や関係の観点から論じた、Schmid(2001a)の"Authenticity: the Person as His or Her Own Author. Dialogical and Ethical Perspectives on Therapy as an Encounter Relationship. And Beyond." を紹介しつつ、彼の論考について考察するものである。近年、出会いや対話といったより相互的な視点が再評価されており、その動向を捉えるうえでも、Schmidの論考は意義があるといえる。Schmid(2001a)は本物であることを常に関係の文脈で捉えており、人が「ひと」となるには、当人が他者との関係、出会いの中で本物である必要があると論じる。そして、このパーソン・センタードな出会いやそれに至るプロセスをSchmidは他者性やプレゼンス、我−汝の概念を用いながら描写している。特に、彼はパーソン・センタードな出会いにおける弁証法的プロセス、つまり「どちらも」の視点、さらには「私たちの視点 We-perspective」から「ひと」を捉えること、グループ・アプローチの重要性を説いている。最後に、社会的次元や政治的次元から、パーソン・センタード・アプローチの在り方や「ひと」を捉え直している。以上の論文に対する考察として、筆者はSchmidの立場の特徴、パーソン・センタード・アプローチの射程範囲、そして本論をどのように読むことで私たちが本物であることを学べるかについて論じた。特集 : パーソン・センタード・セラピーの展

    対話・他者との「出会い」の哲学から考える無条件の肯定的関心 : Schmidの論文から学ぶⅢ

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    本稿は、Schmid(2001)の"Acknowledgement: The art of responding. Dialogical and Ethical Perspectives on the Challenge of Unconditional Relationships in Therapy and Beyond" の紹介とそれに基づく考察である。Schmidは無条件の肯定的関心を、対話や出会いの哲学、社会倫理の視点に基づいて「承認」として再提起した。承認とは、他者の、具体的で、特徴的な、独自のあり方に開かれることを意味する。他者とは、同一化もコントロールもできない、私とは本質的に異なる存在である。それゆえ他者を知ること(knowledge)はできない。他者の他者性を破壊せず関係を結ぶには、ただ共感し、承認すること(acknowledge)である。また理解し得ない謎を含んだ、無限の他者こそが、自己の限界を克服する。他者に出会うには、何よりもまず、他者が真に「向こう側に立っている」と理解する必要がある。反対側に立たずして出会いはない。この隔たりが、他者を、自立的な価値ある個人として尊重する。Schmidの言う承認に基づくセラピーでは、セラピストは、自身の内的照合枠を脇に置くどころか、クライエントの影響を受けて自己を問いただしながら応答することになる。これはセラピー関係の中にTh自身を投入し、Th自身が変化することであり、まさに勇気が問われる在り方といえる。またSchmidは、「(承認が重要なのは)承認が実現傾向を育てるから、というだけではない。これこそがパーソン・センタードという在り方の表れなのだ」と述べ、パーソン・センタード・アプローチの本質にも迫っている。特集 : パーソン・センタード・セラピーの展

    「出会い」の哲学から再考する パーソン・センタード・アプローチの共感的理解 : Schmidの論文から学ぶⅡ

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    本稿ではパーソン・センタード・アプローチ(以下、PCA)における共感的理解について、「出会い(en-counter)」の哲学から考察されたSchmid(2001a)の章を紹介し、PCAに新たにもたらした知見について若干の考察を述べる。Schmidは、哲学的・対話的観点から他者という存在を含めた共感的理解(empathic comprehension)について説明している。その中で、共感はひとが生得的に持っている能力であるとし、パーソン・センタード・セラピーでは、理解しようとする試みが「目的のために」使用されることはなく、一人のひとである表現としてもたらされる社会的架け橋であると捉えている。そして、共感的であるということは、他者(the Other)の他者性に触れることで、予期しないことに直面し、不確実な目的地で旅を始めることを意味するとしている。したがって、共感的理解とは、謎めいた理解できないことを含む存在である他者に感銘を受け、他者に対して興味を持っているという能動的な表現であると主張する。Schmid(2001a)の主張から、Comprehensionという言葉を用いて、新たな切り口からThの共感的理解を発展させている点と日本での中核条件のトレーニングに関して若干の考察を述べた。特集 : パーソン・センタード・セラピーの展

    特集 : パーソン・センタード・セラピーの展開 : パーソン・センタード・アプローチの本質とアイデンティティに関する論争 : Lietaer(2002)、Schmid(2003)、Bohart(2012)の比較

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    本稿は、体験過程療法の立場であるLietaer(2002)、Encounter-orientedの立場であるSchmid(2003)、統合的アプローチの立場であるBohart(2012)の論考を紹介し、パラダイム間におけるPCAのアイデンティティに関する主張の差異から、個々のThが探求すべきパーソン・センタードの本質の検討を試みるものである。近年、PCAの中にもさまざまなパラダイムが生まれたことにより、「パーソン・センタードの本質とは何か」というテーマを中心とした各パラダイム間の論争が巻き起こり、海外を中心にPCAのアイデンティティに関する議論が活発に行われるようになった。Lietaerは体験過程療法の立場から、PCAに特有のものとして「体験する自己に焦点を当てること」と「治療関係における4つの側面」を挙げたが、その論考に対しSchmidは「ひと」という概念がPCA固有のものであり、PCAの本質とは「ひととしての人間観」であると主張した。一方で、Bohartは統合的アプローチの立場から、PCAの本質は「Clを信頼する」ことであり、Clを自己組織化の叡智を持った主体的な自己治癒者としてみることを論じた。3者の論考から、PCAにおける「アイデンティティの基準」、「人間観」、「中核条件の捉え方」を取り上げ、各パラダイム間における主張の差異を検討した。末尾では、パーソン・センタードのThは、自身の臨床をこれらの歴史的な論争と照らし合わせ、自身の体験と共に内省する必要があることを論じた
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