69 research outputs found

    American \u27Globalism\u27 and Asian \u27Regionalism\u27 in the Age of Transformation of the World System

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    小寺清先『校正日本書紀』の訓読上の特色について

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     『校正日本書紀』は備中笠岡の神官・国学者小寺清先によって寛政五年(一七九三年)に刊行された日本書紀全三十巻の訓点付版本である。日本書紀全巻の上梓という大事業が地方の市井の一研究者によってなされたこと自体驚くべきことであるが、その訓読上の特色を見ると、基本的には先行する諸伝本、特に寛文九年版本に依りながら、これをそのまま踏襲するのではなく、仮名遣、語彙、文法等の点に於いて、より古い、上代〜中古のそれに依ろうとする跡が随所に見える一方、返読法としては、使役字を含む文やいわゆる助字の類の扱いに於いて江戸時代中後期頃の漢籍の類の訓読に見えるそれに従って、全編に統一的な訓み方を加点している。 これらの点は、当時盛んであった、国学や漢学の成果を本邦古典籍の訓読の上に積極的に活かそうとする態度の現れなのであって、清先の学識の豊かさと古典に対する考え方を示すものであると同時に、当時の漢文訓読についての考え方の一端を示す資料ともなるものである

    『古語拾遺校本』をめぐって

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     ここに取り上げるのは、今般新出の『古語拾遺』訓点付きの写本であって、幕末~明治初頃の書写にかかるものと思われる一本である。本書は、本文については先行する『古語拾遺』伝本(おそらくは四宮社版)に依ってこれを忠実に書写しようとしたものと思われるが、注された訓点については、特定の典拠によるものではなく、複数の先行伝本のそれを斟酌し、あるいは加点者独自の知見によってなされたものと考えられる跡を多く見いだすことができた。こうした姿勢は、訓点付きの伝本を書写する、という行為それ自体の本質とも関わってくると思われる

    解釈は訓読にどのように反映されるか : 松岡雄淵の「師説」と小寺清先『校正日本書紀』

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     今般新出の『神代紀師説』は松岡雄淵の日本書紀神代巻についての解釈説を記したものである。雄淵は『校正日本書紀』の編者小寺清先の師であり、『校正日本書紀』には雄淵の解釈が反映されているものと想定できる。そこで『校正日本書紀』神代巻に見える訓読が、先行の諸伝本とは異なっている箇所について、『神代紀師説』に示された雄淵の解釈がどのように影響しているかを検証した。 その結果、本文の記述内容についての解釈を述べるという行為と、漢文本文に加点しこれを訓読するという行為は、本文に対しての立場を異にする視点から行われるものである、ということが明らかになってきた。解釈説は本文ついて理解した内容を解釈者が自らの立場で述べたものである。これに対して訓読は、本文について加点者が理解した内容を本文の側(言い換えれば原著者の側)に立って表現したものである。さらに『校正日本書紀』に先行する諸伝本に見える訓読では、この二つの視点が不分明である例が多く見られ、『校正日本書紀』と先行諸倉本の間での訓読上の差異はこのような視点の違いに起因するものがあることも明らかになった。これは、漢文文献を訓読するという行為が、解釈説を表明することとは切り離されて行われるようになった、つまり本文を理解する行為の中での、訓読そのものの位置付けが本質的に変化したことによるものと考えられる
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