12 research outputs found

    Archaeology, Mormonism, and the Claims of History

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    The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints “Mormonism”) is one of the fastest growing religions in the world today (Stark 1998a, b), including India, where membership (especially in the South) has increased dramatically over the last decade. With notable exceptions (e.g., Leone 1979; Murphy 1999; Olsen 2000; Rodseth and Olsen 2000), however, Mormonism has been neglected in the anthropology of religion. The purpose of this paper is to act as a corrective to this imbalance by addressing changes in Mormonism’s conception of itself as a world religion that makes certain claims about its own history. Specifically, I examine Mormonism’s claim – possibly unique among the major world religions -- that a large part of its scriptural tradition took place in ancient America. My purpose is not to explore the history of this claim, nor to take any position on its validity. Instead, I explore the claim itself as it unfolds with reference to a particular domain, Mesoamerican archaeology, and a particular object – the so-called “Tree of Life” stone (also known as Izapa Stela Five) that some Mormons occasionally cite as archaeological evidence for the ancient American origins of the Book of Mormon

    PARADOX IN SOUTH INDIAN DIVINATION:A STUDY IN CULTURAL AMBIVALENCE

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    南インドのドラヴイダ型親族体系は,もはや現実化されない理念で,従ってそれ自体は基本的に「不完全」なものと特色づけられる( Trawick1990)。男性は母親や姉妹を,女性は父親や兄弟を送り出す。しかし交差いとこ婚の原理が,たとえ直接でないとしても次の世代で代替えとして,送り出された人たちを連れ戻すと保証するのだ。ある世代で婚出した女性は次の世代で戻される。婚姻により離された兄弟は,かれらの子供たちの結婚によりふたたび結合される。ドラヴイダ型親族体系は少なくとも理論上は均衡を保たせる体系なのだ。しかし,この理論どうりには実際には行われない。それゆえ,この体系に託された願いも完全には,また時機にかなって,具体化L,実現したりはしない。南インドの親族体系は分与された複数の役割に支えられた静的な形ではなく, 「自分の足跡を追う猟師のような循環j (同書, I5 2)のような,解消されない緊張に保持された一つのプロセスにほかならない。親族体系に込められた欲求を満たさないままに,何世代間も交差いとこ婚を躍動するのは何なのか? この間に答える前に,私たちに必要なのは,親族体系が幾つもの規則を押し付けたり,より高い次元の,構造を規定するものの組合わさりと考えるのを止めるべきだ。南インドの人々が交差いとこ同士で結婚する場合には,望ましい形の結婚という理由だけでなく, (より一般化して言うなら)交差いとこ婚が氏族やリニッジ聞の通婚が長期にわたる縁組みを支えるからでもない(Dumont1970,1979)。多くの人たちの意見はこの点できわめて明確だ。人々はそうしたいから交差いとこと結婚する。人々がそう望むのは,関係構築パターン(構造によって動機づけられ,人々は他の人々に倣う)の結果だと考えてもよいかも知れない。だが,このような説明は単純すぎる。どんなパターンも,それが「伝統」を表象するのなら,自然に,また必然的に伝統を実現したいとの欲求を創りだすと考えられる。しかし欲求はもっと複雑なものだ。私たちはこの事実を7ロイトからだけでなく,社会心理学者たちから学んだ。欲求の複雑性を議論するための語棄は,社会心理学の方がはるかに豊富で,ほんの二,三を挙げても「両面価値J,メdossonance壬, 「分割」, 「合理化J. 「内面葛藤J,などがある(Festinger1971のすぐれたレピューを見よ)。「欲求jを親族組織の周縁にではなく中心に据えるのは,人類学では新しく,他のアプローチとは異なる。他のアプローチとは,限られた財を支配できる政治的な地位の獲得や保持に必要なさまざまな役割のなかに込められた諸方策に応じて親族関係を規定するとか, 「権力」を強調する傾向がある。Bourdieuは,一例として婚姻規則は社会的に広められた「嘘」で,その目的は経済上,政治上の必要から人々に強いられる諸方策のシンボリックな様々な効果を秘密にしておくためだと考える(Bourdieu1977:43, Kartz 1994, LiPuma 1983も見よ)。本稿では社会的パラドックス(逆説),抑圧された欲求,そこから生成される両面価値,これらのダイナミックスを記述する。つぎに社会的パラドックスが占いのシステムに及ぼした結果を跡づける。占いのシステムの中で人々は乱された近親関係に不幸をもたらす原因を探るのだ。最後にアメリカの心理療法術と比較するが,これは南インドの占いと同じくパラドックスで深く引き裂かれたシステムで,かつジェンダーの観念と強く関わりあっている

    Crossmodal correspondences: A tutorial review

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    The Durbar Incident

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