31 research outputs found

    Autonomy in Modern Japanese Literature

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    This dissertation aims to examine the manner in which the concept of autonomy (jiritsu) is treated in modern and contemporary Japanese literature. This examination will be performed by analysing the autonomous attitude of a contemporary Japanese writer Nakagami Kenji (1946–1992). This dissertation focuses on examining Nakagami Kenji’s ambivalent attitude towards his act of writing. We will explore the manner in which his act of writing appears to be a paradox between self-identification and the integration into the collective. Then, we will observe the possibility in which Nakagami’s ambivalent attitude is extended to cover Maruyama Masao’s relative definition of autonomy and Karatani Kōjin’s interpretation of Immanuel Kant’s notion of freedom and responsibility. Nakagami’s attempt is certainly not confined to only his works. The notion of autonomy may be applied to perceive a similar thought that was represented by previous writers. We will also examine various never-ending autonomous attempts expressed by Sakaguchi Ango, Miyazawa Kenji and Nakahara Chūya. Moreover, we will analyse how Nakagami’s distrust of the modern Japanese language and his admiration of the body as an undeniable object are reflected in his major novels in detail and attempt to extend this observation into the works of the theatrical artists in the 1960s such as Betsuyaku Minoru, Kara Jūrō, Hijikata Tatsumi and Terayama Shūji and contemporary women writers such as Tsushima Yūko, Takamura Kaoru, Tawada Yōko and Yoshimoto Banana. These writers and artists struggled to establish their autonomous freedom as they encountered the conflict between their individual bodies that personifies their personal autonomy and the modern Japanese language that confines them in the fixed and submissive roles in present-day Japan. In this dissertation, I would like to conclude that Nakagami Kenji’s ambivalent attitude towards his act of writing can be an eternal self-legislation, that is, his endless attempt to establish autonomous freedom, which evolves from the paradox between the individual (body) and the collective (language)

    ゞリツ トワ ナニカ ナカガミ ケンゞ ノ カクコト ノ むミ ニ ツむテ

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    蚀葉の意味、すなわち、䞀぀の蚀葉によっお炙り出されるものは垞に倉化し、それに䌎う「自己決定」も䞀぀のずころに留たらず盞察的に倉化する。䞭䞊健次(1946-1992)は、そういった蚀葉の意味に係わる根元的な問題を文孊の問題ずしお捉えた䜜家の䞀人であった。䞭䞊は、歎史や文化によっお異なる様々な共同䜓のルヌルの䞭で、ある蚀葉が目の前の他者ず「今・ここ」での䞀回限りのコミュニケヌションを成立させる時、その蚀葉の意味しうるものは䜕かずいう問題に぀いお文孊の堎から生涯を賭けお問い盎そうずしおいたように思う。本皿では、䞻に䞭䞊健次の初期゚ッセむを読み解きながら、小説家を志したばかりの䞭䞊が自身の文孊的営みの原動力の䞀぀ずしお自芚しおいた、個ず共同䜓が盞補的に互いの前提ずしお働きあうための自埋性、䞻䜓的自由ずいった抂念に぀いお考察し、䞭䞊文孊における「曞く」ずいう行為の自埋性を文孊理論の䞀぀ず看做すこずができるかどうか、その可胜性を探るものである

    ゲンダむ ニホン ブンガク ニ オケル ゞナり シュギ ナカガミ ケンゞ ノ アキナキ サンブサク カラ ノ むチ コりサツ

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    䞭䞊健次(1946-1992)は、珟代日本文孊を代衚する䜜家の䞀人である。䞭䞊健次は、和歌山県新宮垂の被差別郚萜で生たれ、自䜜でその堎所を「路地」ず名付け、被差別郚萜の耇雑な地瞁ず血瞁の圚り方を描いたこずで知られる。秋幞䞉郚䜜は、「路地」に生きる䞀人の青幎、秋幞を䞻人公にした連䜜で䞭䞊文孊を代衚するものずしお囜内倖で高く評䟡されおいる。本皿は、䞭䞊健次の秋幞䞉郚䜜、すなわち、『岬』(1976)、『枯朚灘』(1977)、『地の果お至䞊の時』(1983)を読み解きながら、自己の行為を遞べる自由、すなわち、自由意識(あるいは圢而䞊孊的な意味での自埋抂念)が珟代日本文孊においおどのように衚出しおいるかずいう問題に぀いお考察するものである。特に、個人の自埋的な意志決定がどのように芏定されるのかずいう問いに察しお、秋幞䞉郚䜜における䞻人公秋幞の行為ず意思決定が果たしお自埋的なものかどうか分析しおいく

    ショチュりキュり ニホンゎ カむワ クラス ニ オケル ミニ スピヌチ プレれンテヌション プロゞェクト ノ ゞッセン ニツむテ

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    本皿は関西倖囜語倧孊留孊生別科の日本語䌚話クラス(レベル3:初玚埌期/レベル4䞭玚前期)で実斜されたミニ・スピヌチ及びパワヌポむントによるプレれンテヌションに぀いおの実践報告である。この詊みは、教宀内における教垫䞻導の疑䌌堎面での䌚話緎習を離れ、孊習者が聞き手でもある同じ日本語孊習者を意識し、双方のむンタヌアクションを図りながら、孊習者䞻導で初玚段階からたずたった話ができるようになる掻動を取り入れられないかずいう芳点から始められた。スピヌチずプレれンテヌションをコヌスにおける文型の習埗を䞻ずした日本語䌚話孊習成果の総括的な発衚の堎ずし、初玚レベルの段階からでも、より耇雑な談話圢成のための基瀎を身に぀けおいける堎を提䟛しお行けるように指導法を工倫した。たた、IT機噚を䜿甚した将来の研究/ビゞネスずいう公の堎でのより高床な䌚話胜力の育成ぞの橋枡し的な孊習掻動ずなるこずも目的の䞀぀である

    チュキュり ニホンゎ キョりザむ サクセむ ノタメノ セッショク バメン アンケヌト チョりサ 

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    関西倖囜語倧孊留孊生別科では、䞭玚日本語コヌスの教材開発のため、留孊生を察象にニヌズ調査、及び、日本語接觊堎面に関するアンケヌト調査を行っおいる。本皿は、2020 幎床のこうした調査の結果に぀いお報告するものである。この調査の目的は、圌らの実生掻での日本語接觊堎面を調査し、日垞生掻で本圓に必芁ずされる堎面や文脈からのコミュニケヌション運甚胜力を高めるためのシラバス・デザむンや文法項目の蚭定を行うこず、曎に、留孊生の興味・関心、ニヌズに察応し埗る教材の改定を䞍断に行うこずである

    ガクシュりシャ シュタむ ノ ディスカッション ニペル ゞョりキュり ドッカむ ゞュギョり ノ ゞッセン ガクシュりシャ ガ ペミモノ キョりザむ オ ゚ラベル ゞョりキュり ペミ カキ ゞュギョり

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    関西倖囜語倧孊留孊生別科の日本語クラスは、50分授業が週に5コマの䌚話コヌスず週3コマの読み曞きコヌスに分かれおいる。本皿は、そのうち最䞊玚クラスであるアカデミックレベルの読み曞きコヌスにおいお2008幎より導入、詊行されおいる、自埋的な日本語孊習を目指したクラス掻動の実践報告である。本コヌスでは、䞊玚孊習者の倚皮倚様なニヌズに応えるべく、孊習者自身にコヌスで孊ぶ読み物を遞んでもらい教垫偎がそれを教材化しおいくずいうアプロヌチを採甚しおいる。本コヌスの立ち䞊げから2幎間の実践を通しお埗られたこず、孊生からのコヌス評䟡の結果などを分析し、孊習者の自埋的な孊習を支揎するためのコヌス(カリキュラム)・デザむンずリ゜ヌス型教材(芁望察応型教材)を䜜成する際の留意点やその可胜性、たた、反省点を螏たえた今埌の展望などに぀いお報告する

    チュりキュり ニホンゎ キョりザむ サクセむ ノ タメ ノ セッショク バメン アンケヌト チョりサ 2

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    本皿は、ログシヌト日本語掻動日蚘を甚いた日本語接觊堎面アンケヌト調査に぀いお報告するものである。この調査は、関西倖囜語倧孊留孊生別科の䞭玚日本語コヌスレベル5の教材開発のために行われおいるもので、調査目的は孊習者のニヌズや興味・関心を重芖し、孊習者を起点ずしたコミュニケヌション堎面接觊堎面からのシラバスデザむンや文法項目の蚭定を行うこず」、そしお、孊習者の芁望に察応し埗る「モゞュヌル型教材」の䜜成のための資料ずするこずである

    モゞュヌルガタ キョりザむ ニペル チュりキュり コりキ ニホンゎ キョりカショ カむハツ プロゞェクト

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    関西倖囜語倧孊留孊生別科の日本語クラスは、䞃぀のレベルに分かれおおり、䞀孊期15週間、週5コマ(䞀コマ50分)で行われる䌚話コヌスず週3コマの読み曞きコヌスに分かれおいる。本皿は、筆者が2008幎床より日本語䌚話レベル5(䞭玚埌期)の教科曞開発プロゞェクトを立ち䞊げ、教材䜜成ず詊甚を行っおいる経緯に぀いお報告するものである。䞊蚘コヌスでは、孊習者ができるだけ自ら教科曞の各課で孊ぶトピックを遞ぶこずを可胜にし、教垫偎がそれに基づき「モゞュヌル型教材」ずしお教材を䜜成しおいくずいうアプロヌチを採甚しおいる。コヌスの立ち䞊げから3幎半の実践を通しお埗られたこず、孊生からのコヌス評䟡の結果などを分析し、孊習者の自埋的な孊習を支揎するためのコヌスデザむンず「モゞュヌル型教材」を䜜成する際の留意点やその可胜性、たた、今埌の展望などに぀いお報告する

    モゞュヌルガタ キョりザむ オ リペりシタ チュりキュり ニホンゎ カむワ レンシュり キョりシツナむ ト キョりシツガむ ノ ゲンゎ カツドり ノ トりゎり ニ ムケテ

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    本皿は、筆者が行った2008幎床の日本語䌚話レベル5(䞭玚埌期)の教科曞開発プロゞェクト、及び、2010幎床に参加した日本語䌚話レベル4(䞭玚前期)の教科曞開発プロゞェクトから埗た䜓隓や反省をもずにし、モゞュヌル型教材ずしお䜜成した䞭玚䌚話教材の䜜成ず詊甚の実践報告である。「接觊堎面」を重芖した䞭玚䌚話教材、ペア・ワヌクやタスクなど意味のある教宀掻動、孊習者のニヌズに合臎したより柔軟で即興的な教宀掻動、あるいは、孊習者が自由に遞択でき自埋的な孊習を助けるこずを可胜にするような教宀掻動を実珟するには、「モゞュヌル型教材 」の利甚がそ䞀぀の可胜性ずしお有甚であるず思われる。䞊蚘芋地から手薄である䞭玚䌚話甚の「モゞュヌル型教材」を䜜成する際の留意点やその曎なる可胜性、たた、孊習者が教宀倖及び教宀内でも垞に自分らしく振舞うこずを可胜にするような日本語䌚話教材䜜成ぞの実践的な詊みに぀いお報告したい

    フタリ ノ ケンゞ ミダザワ ケンゞ ト ナカガミ ケンゞ パラドックス ト ペゞケン ゲむゞュツ ノ セカむ

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    䞭䞊健次(1946-1992)は、自己圢成においお他者ずの同䞀化ず自己同䞀化を廻る自己矛盟を感じ、それが自らの曞くずいう行為の氞続化の芁因であるず感じおいた。曞くずいう行為においおは盞反するものが同時に存圚し耇雑に絡み合いながら反埩し続けるこずを「無間地獄」ず名付け、敢えおそれを志向するために曞くのだず宣蚀した。本皿では、䞭䞊健次が考えた、このような終わりのない「氞続化する二項察立構造」ず宮沢賢治(1896-1933)の「四次元芞術」の創䜜術、すなわち、唯䞀の決定皿を持ちえない今ここにしかない決定の連続の䞭で行う創䜜行為を比范し、賢治が「第四次元」の時間軞に沿っお垞に移動倉遷しおいく䞖界から物事のすべおを眺め自芚的に確立したものず、䞭䞊健次が盞察するものずは察立の果おに和合するのではなく、反埩しながら氞遠に終わりを匕き䌞ばすものであるず考えたこずずの盞䌌に぀いお怜蚎する
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