88 research outputs found

    徳川期日本の結婚パターンと人口システム

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    John Hajnal was the firsy scholar to examine marriage patterns in preindustial society.He divided marriage patterns into two categories of Western and Eastern European patternsm from which he explored their distributions and origins,There is some debate over to which of these two patterns the marriage pattern of Tokugawa Jaoan belongs.This paper, while discussing the relationship between marriage and othe dekographic considerations, attempts to shed light on characteristic features of marriage patterns in the Yokugawa period.The conclusion maintains that a strong argument can be made in favor of the position that the marriage patterns of Tokugawa Japan belomg to neither the Western nor Eastern European model

    Population Structure and Life Course in Late Tokugawa Kyoto

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    幕末期の京都人口について、15の町の宗門改帳を用いることにより、人口構造とライフコースの分析を行なった。町ごとに見ると、世帯の大きさや性比に大きな違いがあったが、その違いは奉公人がどれだけ雇われているのか、また奉公人は男子が多いのか女子が多いのかという点によることがわかった。出生率を示す指標としてchild-woman ratioを計算すると農村の平均値よりも高い値が算出された。つまり、近世京都の出生率が予想に反して高かった可能性が示された。世帯構成の特徴は、早くから奉公を始めるため世帯内の子供数が少ないこと、また、嫁・婿というカテゴリーが農村に比べ非常に少なかったことである。ただし、父・母のカテゴリーの大きさにはあまり違いが見られないので、直系家族システムを取りつつも一時的な別居志向があったこと、あるいは隠居年齢が低かったためであると考えられる

    Geographical Pattern of Migrants into Kyoto in the Early Modern Period: An Analysis of their Birthplaces

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    幕末京都における28町分、約32000人年の宗門改帳データベースから「生国」を取り出して分析した結果、転入者の出身地は北近畿、北陸、濃尾地方に集中しており、奉公人であっても、家族単位であっても、ほぼこの範囲から京都へ移動したことが確認された。なお、成人男子の転入元は、少数であるが瀬戸内地方に広く分布する傾向も見られる。一方、山城以外を生国とする者の比率は幕末期に明らかな低下が観察された。ただし、山城以外からの奉公人が必ずしも減ったわけではない。むしろ、奉公を終えて京都で定着した者が減ったことが多国出身者比率低下をもたらしたのであり、人口減少要因の1つであったと考えられる

    Urban Reproduction and Fertility: Kyoto in Late Tokugawa Japan

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    Having collected all of the extant population surveys of Kyoto that included age information, we try to analyze fertility using all data where there were two consecutive listings. The total marital fertility rate was at the low level of 4.03, suggesting that maintaining the urban population with fertility alone may have been difficult. This confirms the fertility side of the urban graveyard theory

    Operational Method for Various Continuous Beams

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    Article信州大学工学部紀要 24: 1-22 (1968)departmental bulletin pape

    Construction of the Disease Database before Meiji Period

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    富士川游の古典的著作『日本疾病史』(1912)に掲載された疾病事例に『日本災異誌』(1894)「疫病の部」の事例を加え、古代から近世までの疾病史データベースを作成した。このデータから近世以前の伝染病発生頻度について、次の観察結果が得られた。8世紀から15世紀までは、データの性質を考慮すると頻度に大きな変化はなかったと推定される。16-17世紀には伝染病の頻度が低下しており、この要因については、さらなる分析が必要となろう。一方、18世紀以後、伝染病の発生頻度は大きく上昇するが、これは主に流行性感冒の増加によるものと考えられる

    Demographic Profile of Servants in Late Tokugawa Japan

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    近世商家の住込奉公人(丁稚や手代)は幕末になるとほとんどの都市であまり姿を見なくなるが、京都は大坂とともに住込奉公人を抱える雇用形態が一貫して続く例外的な都市であった。しかし、京都の4つの町をサンプルとして近世後期における奉公人人口の趨勢を細かく見ると、天保クライシス期のゆるやかな減少、1850年代の回復、そして開港や元治大火の影響を受けた1860年代における明瞭な低下という変化が認められ、住込奉公人の雇用が経済変動によって調整されていたことがあきらかになった。また、史料の残存状況が良好な下京・西堂町では、男子は数え年13歳前後で奉公を開始し18歳前後で2割弱が手代へするという昇進パターンが見られる一方、女子は1-2年単位の短年季奉公が中心であった。奉公人を出身地別に見ると、遠方の出身者の方が手代への昇進率は高かったが、昇進できない場合でも京都に留まって奉公を続ける傾向が見られた

    歴史人口学で探る幕末京都町人の生活

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