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    トーマス・メイヤー、カリフォルニアの孤高のマネタリスト

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    要 旨 1970 年代から80 年代にかけて、カリフォルニアの州都、サクラメント近くのデーヴィス(Davis)という片田舎の街でマネタリズムについて精力的に研究していた、一人の経済学者がいた。彼はミルトン・フリードマンやアンナ・シュウォーツのように世界的に著名なマネタリストとは距離を置きつつ、自らのマネタリストとしての立ち位置を固めていった。彼はユダヤ人の子として第二次世界大戦の直前にオーストリアで生を受け、日々高まるユダヤ排斥運動の中、かろうじてアメリカに脱出、幾多の困難を克服し、カリフォルニア大学デーヴィス校で教授の地位を得ることができた。 彼は当時の多くの経済学者がそうであったように、当初はケインジアンとして研究生活をはじめる。しかし、その後1957 年にミルトン・フリードマンがStudies in the Quantity Theory of Money を出版するに至り、その内容にすっかり魅せられ、即座に大学院の講義テキストに用いた。その成果は1979 年にKreditund Kapital 誌に2 回に分けて発表され、その後のThe Structure of Monetarism出版に繋がる。同書の出版はマネタリズム旋風が起きていた時期に重なり、世界の耳目を集めることになる。 しかし、彼はマネタリスト研究者が往々にして陥るドグマティストでは決してなかった。1968 年にミルトン・フリードマンとアンナ・シュウォーツがA Monetary History of the United States を出版すると、ケインジアンから厳しい反論が寄せられる。その先鋒に立ったのが、ピーター・テミンであった。テミンはフリードマン達の大恐慌解釈に対して厳しい反論を展開し、1976 年にDid Monetary Forces Cause the Great Depression? を出版し、注目を集める。その両者の論争の中に割って入ったのが、トーマス・メイヤーであった。彼は両者それぞれの主張を認め、フリードマン達の研究にも不十分な点のあることを指摘した。 彼は生涯を通じて貨幣経済学者としての研究姿勢を崩さなかった。カリフォルニア州の厳しい財政悪化の中、62 歳で早期退職を求められた後もその姿勢は続いた。同僚たちの多くはそのあまりにも早い退職を嘆いた。彼は在職中研究だけでなく、学生の研究指導にも熱心であった。経済学部はその貢献を称え、彼の退職と同時に「トーマス・メイヤー教育賞」(Thomas Mayer Award for Excellence in Teaching)を設け、学生指導に顕著な功績のあった教師を表彰している。当時の同僚たちは、彼は時間を非常に大切にし、長時間の非効率的な会議を好まず、彼との会議はまるで片足立たちで行っているようであった、と述懐している。本稿はそのような異端で孤高の経済学者がどのように70年代、80年代の貨幣経済学の発展に貢献したかについて論じる

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