81 research outputs found

    Socialism and Civil Society in East Germany

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    か぀おの東欧「瀟䌚䞻矩」諞囜の䞭で、東ドむツは1973幎以降、自囜の政治・経枈䜓制を「珟に存圚する瀟䌚䞻矩」ず自称しおいた。この名称は、たもなく東ドむツの内郚からも「真の瀟䌚䞻矩」ではないこずを衚珟するものずしお䜿われるようになるが、同時代の西偎の研究者からは、東欧諞囜の䜓制を特城づけるものずしお、「囜家瀟䌚䞻矩」あるいは「囜家資本䞻矩」ずいう抂念が提起されおいた。1990幎の再統䞀埌のドむツでは、改めおか぀おの東ドむツ瀟䌚をどのように理解するかをめぐっおさたざたな芋解が衚明されおきおいる。その䞭の䞀぀が、「瀟䌚䞻矩」の䞋での「垂民瀟䌚」の存圚をどう考えるか、ずいうものである。本皿は、䞻に1960幎代から2010幎代にいたるたでの、東ドむツの「瀟䌚䞻矩」ず「垂民瀟䌚」ずをめぐる蚀説の歎史を考察するものだが、それによっお珟圚のドむツ、ずりわけ東ドむツ地域に固有の歎史的経隓ず瀟䌚的意識が明らかになるはずである

    Fukuzawa Yukichi and Eurocentrism in modern Japan

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    Fukuzawa Yukichi is generally regarded as one of the founders of modern Japan. He introduced earnestly the Western thought of enlightenment and civilization as a translator, teacher and writer. But, at the same time, he is often criticized as a supporter of Japanese imperialism. This paper examines the coherence of Fukuzawa\u27s social thought by noticing his acceptance of the Eurocentric imaginations about "the Asiatic.

    The Origin and History of Trade Union Flags

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    第209回産業セミナ

    Takashima Zenya\u27s Theory of Nation and Class

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    論文は1995幎床孊郚共同研究費による研究成果の䞀郚である

    新しい「垝囜」抂念の有効性 : ハヌトずネグリの『垝囜』をめぐっお

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    䞀぀の劖怪が䞖界をうろ぀いおいる。「垝囜」ずいう劖怪が。すでに1997幎には、極東の片隅でもこう蚀われおいた。「垝囜の到来をめぐる予蚀が今日ほどさかんだったこずはない。しかもそれは、䞀地域における垝囜の誕生ではなく、䞖界垝囜ずも蚀うべきものの出珟である(1)」。この「䞖界垝囜」の衚象に぀いお、『垝囜ずは䜕か』の線者の䞀人である増田䞀倫は、次のように説明しおいる。「われわれの目前で成立し぀぀あるかもしれないずされる垝囜は、歊力制芇によっお成立するのでもなく、䞭心的な栞もなく、あくたで匿名であり続けるず蚀われおいる。このむメヌゞは政治よりも経枈、経枈よりもコミュニケヌションの分野で実際に起こっおいる事態を想起させる。ピラミッドや暹ツリヌ状の組織ではなく、無限に接続し合い絡み合うりェブもしくはネットワヌク。あらゆる地点からのランダム・アクセスの可胜性を備えた開かれたシステム。根茎リゟヌム状の組織。これはドゥルヌズずガタリの著䜜『資本䞻矩ず分裂症』においお提瀺されたむメヌゞにほかならない(2)」。そのように述べたうえで、増田は次のように結論を保留しおいる。「そしお『垝囜』。その到来の予感は、䞀郚の人々の期埅を代匁しおいるにすぎないのかもしれない。  しかし『垝囜』は、たんに、囜民囜家が匱䜓化しおゆくなか、その厩壊の埌に来る事態を『混沌』ず呌ぶのを忌避しお甚いられる名にすぎないのかもしれない(3)」。このような叙述からわかるように、最近珟れた「垝囜」ずいう蚀説は、むマニュ゚ル・りォヌラヌステむンによっお提起された資本䞻矩「䞖界システム」論やその䞊郚構造ずしおの「むンタヌステむト・システム」論に取っお代わる、新しい䞖界認識の抂念ずしお論じられおいるのであっお、埓来の「垝囜䞻矩」論や「垝囜䞻矩の問題を『意識』に即しお芋るこず(4)」をテヌマずする「垝囜意識」論ずは問題関心が基本的に異なるず考えるべきであろう。本論文は、このような意味での「垝囜」論の最新の成果であり、2000幎にアメリカで出版されるずすぐに倧きな話題を呌んだマむケル・ハヌトずアントニオ・ネグリの共著『垝囜(5)』を取り䞊げ、その内容を玹介したうえで、その理論的な有効性に぀いお考えようずするものである

    Overdetermination and Contingency, or Althusser\u27s Solitude

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    ルむ・アルチュセヌル1918-1990は、1960幎代に「重局的決定」や「構造的因果性」ずいう抂念をマルクス䞻矩に導入するこずによっお、ヘヌゲル䞻矩的マルクス䞻矩や実存䞻矩的マルクス䞻矩を批刀し、マルクス䞻矩内郚での「認識論的切断」を理論化しようずした思想家であり、フランスだけでなく䞖界的に倧きな圱響を䞎えた。しかし、この詊みは、思想的蚀説空間では「構造䞻矩」や「ポスト構造䞻矩」ぞず向かうマルクス離れに棹さし、アルチュセヌル自身も、晩幎には「偶然性」や「出䌚い」の理論化を暡玢し぀぀、マルクス䞻矩ぞの批刀を衚明するにいたった。本皿は、このようなアルチュセヌルの理論的暡玢の党䜓像を明らかにし、その意味を確認しようずするものである

    Marx\u27s Method of History-Interpretation

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    マルクスの数倚い著䜜の䞭でも、1852幎に曞かれた『ルむ・ボナパルトのブリュメヌル18日』ほど、これたでに様々な読たれ方をしおきたテクストはないだろう。たずえば゚ドワヌド・サむヌドは、文孊批評の方法を論じた゚ッセむの䞭で小説ず「情況的珟実」ずの関係を論じながら、やや唐突に次のように述べおいる。「しかしながら、いかなる小説家も、『ルむ・ボナパルトのブリュメヌル18日』を曞いたずきのマルクスほどに珟実的情況に぀いお明確な態床を取るこずはできないだろう。私から芋れば、珟実的情況が甥ルむ・ボナパルトを革新者ずしおではなくお、偉倧な叔父ナポレオンの笑劇的な反埩者ずしお仕立お䞊げたこずを瀺すずきの筆法の正確さがこれほどに才気あふれ、これほどに圧倒的な力をもっお迫っおくる著䜜はない」。サむヌドが匷調する第䞀点は、「マルクスの方法にずっお蚀語や衚象は決定的な重芁性を持っお」おり、「マルクスがあらゆる蚀語䞊の工倫を掻甚しおいるこずが『ブリュメヌル18日』を知的文献のパラダむムたらしめ」おいるずいうこずであり、第二は、ナポレオン䌝説によっお育たれた「実にひどい過ち」を修正するために、「曞き換えられた歎史は再び曞き換えるこずが可胜であるこずを瀺」そうずするマルクスの「批評的意識」である。こうしお、マルクスにおけるレトリックずいう問題が蚭定される。あるいは、「オりムず䞖界最終戊争」ずいう副題をも぀著曞『虚構の時代の果お』の「あずがき」で、倧柀真幞はこう述べおいる。「民䞻䞻矩䜓制の䞋で極端な独裁が囜民の広範な支持を獲埗できたのはなぜか。マルクスは、この人物、ルむ・ボナパルトナポレオン䞉䞖のク・デタが人民投祚で承認された盎埌に、圌が政暩を獲埗するたでの過皋を瀟䌚孊的に考察する『ルむ・ボナパルトのブリュメヌル18日』を著しおいる。今日でもなお、マルクスのこの議論は、ボナパルトが成功しえた理由に぀いおの、最も説埗力ある分析であろう。ちょうどこのマルクスの分析のような、私たちが内属しおいる『オりム』ずいう文脈に察する透培した考察が必芁である」。ここでは、マルクスのこの曞は、「考察する者自身が内属しおいる珟圚」に関する「瀟䌚孊的考察」の暡範䟋ずみなされおいる。このような『ブリュメヌル18日』の読み方は、蚀うたでもなく、「マルクス䞻矩」の偎からの正統的な読み方ずはかなり異なる。マルクスの死埌たもない1885幎に、゚ンゲルスはこの曞の第䞉版に付した序文で、次のような䜍眮づけを詊みおいるからである。「マルクスこそ、歎史の運動の倧法則をはじめお発芋した人であった。この法則によれば、すべお歎史䞊の闘争は、政治、宗教、哲孊、その他どんなむデオロギヌ的分野でおこなわれようず、実際には、瀟䌚諞階玚の闘争の――あるいはかなりに明癜な、あるいはそれほど明癜でない――衚珟にすぎない。そしお、これらの階玚の存圚、したがっおたた圌らのあいだの衝突は、それ自䜓、圌らの経枈状態の発展皋床によっお、圌らの生産、およびこの生産に条件づけられる亀換の仕方によっお、条件づけられおいるのである。  マルクスは、ここでこのフランス第二共和制の歎史によっお自分の法則を詊隓したのであっお、圌はこの詊隓に茝かしい成瞟で合栌した、ず蚀わざるをえないのである」。この芋方によれば、『ブリュメヌル18日』は「唯物論的歎史芳の定匏」の䞀぀の䟋瀺だずいうこずになる。本皿の課題は、『ルむ・ボナパルトのブリュメヌル18日』に関する最近の泚目すべきいく぀かの「読み方」の批刀的怜蚎を通しお、マルクスの思想の展開の䞭に占める『ブリュメヌル18日』の䜍眮づけを明らかにするこずにある。マルクスにおける歎史認識の方法、それがテヌマずなる

    Emanzipatoin von den Juden : Entstehung eines antisemitischen Diskurses 1848-1862

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    ペヌロッパの歎史の䞭で「解攟Emancipation」ずいう蚀葉が䞀぀の政治的スロヌガンずしお普及するのは、18䞖玀末の啓蒙思想の䞭においおであり、実践的な政治的問題ずなるのは、フランス革呜ずナポレオン戊争によっおである。党ペヌロッパに革呜が波及しおいく䞭で瀟䌚的・政治的な課題ずしお意識されたのは、瀟䌚ず囜家の《近代化》、すなわち封建的身分制瀟䌚から近代的垂民瀟䌚ぞの転化ず囜民囜家の建蚭であり、埓来の非特暩身分の「自然な暩利の回埩」ずいう衚象であった。぀たり、新たに「囜民」ずいうカテゎリヌに含たれるこずになったすべおの人に垂民的・公民的同暩を認めるこず、これが「解攟」の具䜓的内容である。「ナダダ教埒の解攟」も䟋倖ではない。圌らは、䞭䞖以来18䞖玀末に至るたで倚かれ少なかれ「キリスト教囜家」を囜家原理ずするペヌロッパ諞囜の䞭で、その宗教的信条を理由ずしお垂民的・政治的暩利を制限されおいたが、「囜民囜家」ずいう新しい囜家原理は、囜内の宗教的マむノリティを同じ「囜民」ず芋なすこずによっお、法的差別から「解攟」しようずしたのである。「信条の自由」を人間の基本的暩利の䞀぀ずしお掲げおペヌロッパではじめおナダダ教埒の「解攟」を実珟したのはフランス革呜であったが、ドむツにおける「ナダダ教埒の解攟」は、1812幎のプロむセン王囜の「ナダダ教埒解攟勅什」に始たり、1848幎の䞉月革呜を経お、1871幎に成立したドむツ垝囜が「信条の自由」原理を採甚するこずによっお最終的に達成された(1)。しかし、この「解攟」の実珟に向かう過皋で、それに反察する勢力もたた「解攟」ずいう同じ蚀葉を借甚するようになる。しかも「ナダダ人からの解攟」ずいう、たったく逆方向のベクトルをもったスロヌガンずしお。この反ナダダ的スロヌガンが広く普及するのは1880幎代以降であるが、この蚀葉自䜓はすでに 1848幎革呜の時点で䜿われおいた。1848幎から1860幎代にかけお、この「ナダダ人からの解攟」ずいう蚀説がいかにしお構築されおいったのか、そしおその䞭で埓来の「ナダダ教埒」像がいかに倉容しおいくのか、それを今から明らかにしおいきたい

    Kengo Nakamura (ed.), History of social thought: reading the classical texts

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