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    Historical Background of Auspicious Words in Earthenware Writing

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    Origin of Thousand Buddha Statue Faith in Koguryo

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    紀年銘のある高句麗の金銅仏として知られる延嘉七年己未銘金銅仏に関して、従来は紀年の比定が論究の中心であった。これに対し、近年、釈読の進められている中国北朝代石窟の千仏図像の傍題に関する研究によって、千仏図像がいくつかの仏典に依拠することが明らかになってきた。それらは主として仏名経類であり、その内容が千仏図像として可視化されている。いっぽう、延嘉七年己未金銅仏銘文には「第廿九因現義仏」の語があり、これは仏名経の一つである『賢劫経』にみえる仏名であることが知られている。この仏像の制作年代は六世紀代とみられており、この時点で仏名経類に基づく仏像表現は敦煌莫高窟などの北朝石窟に限られることから、延嘉七年己未金銅仏銘文によって同様の信仰を実修していたことが明らかな高句麗の仏教が北朝の影響下にあったことを論じた。高句麗仏教延嘉七年銘金銅仏千仏仏名

    External Recognition of Immigrant Groups as Seen from Ancient Engravings

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    大阪府柏原市安福寺北群一〇号横穴の線刻図像のなかで中央の鳥羽冠を被った人物について、時期的に近い東アジアの類例と比較検討し、ユーラシアの四世紀から九世紀頃には、鳥羽冠が古代朝鮮半島人を識別し、認識する次元での図像要素であることを述べた。加えて、安福寺人物図は頭椎大刀の表現があり、これらの要素から同時代の線刻画とした。また、高句麗壁画の鳥羽冠人物図と酷似することから、八世紀以降の文献史料では百済系渡来人氏族の集住地とされたが、考古資料によって彼らの対外認識を明らかにし、渡来系集団の実態を示した。横穴線刻高句麗渡来系集団鳥羽

    Confucianism and Buddhism as Construction Concepts for Koguryo Royal Tombs

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    本論では広開土王陵碑文にみえる立碑目的である守墓に関する語句について、漢代祠堂の石刻文や経書と対照検討し、広開土王一代の勲蹟と守墓役を後世に伝示という碑の機能は来観者に墓の保全を顕示することにあり、経書に依拠する語と内容から、広開土王陵の造営思想が儒教的な孝すなわち亡親に対する追孝に基づいたものであることを示した。さらに広開土王陵碑と広開土王陵の造営思想である儒教的な追孝に対して、伝・東明王陵と定陵寺址の関係は明らかに仏教に基づいた追福であることを対置的に示し、広開土王陵碑と広開土王陵の関係に示される儒教的な追孝から長寿王陵に比定される伝・東明王陵と定陵寺址の仏教の追福へと、高句麗王陵の造営思想が変化していることを明らかにした。このような陵墓と寺院を近接して配置する形態は、高句麗が通交していた北魏の文明皇太后の墓である永固陵と思遠仏寺が影響したと推定した。高句麗広開土王陵碑伝・東明王陵定陵寺址北
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