Aichi University of the Arts Repository / 愛知県立芸術大学リポジトリ

大塚, 直

オオツカ, スナオ

German

日本におけるホルヴァート上演―劇団「東京演劇アンサンブル」の演出家・広渡常敏と公家義徳の試み―

2 mixed muses no.20 目　次mixed muses no. 20「敵国優遇」から「国際標準」へ――ドイツ軍俘虜の音楽活動における外国人視察の果たした役割 20 世紀後半の日本におけるロシア民謡について 新刊紹介マルク・バティエ著『人工音の美学――電子音楽の起源Esthét ique du son art i f iciel:  Genèse des musiques électroniques』　パリ　ヴラン社　2024 年 『ミクスト・ミューズ』第 20 号記念特集Re: 音楽学コースの歴史を振り返る シンポジウム報告音楽学コース創立 30 周年記念シンポジウム　開催報告  特別講座報告田中東子先生「『オタク文化とフェミニズム』を通じて考える～研究への昇華法」 音楽学コロキウム報告音楽学コロキウム報告――2024 年度の実施状況 5213034546264七條めぐみ安原雅之井上さつき七條めぐみ七條めぐみ武田真於武田真於山上千乃3mixed muses no.20愛知県立芸術大学音楽学部愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程令和 6 年度（2024 年度） 卒業論文・修士論文要旨〈卒業論文〉歌謡曲の伴奏楽器とその変遷――シングル売り上げ上位曲から考えるコンピューターゲームにおける音響的演出の研究――《ポケットモンスター ソード・シールド》を例に〈修士論文〉音楽制作ツールとしてのボーカロイドがクリエイターの表現に及ぼす影響池内友次郎の理念の実践と後世に与えた影響現在演じられている尾張万歳の音楽構造――「御殿万歳」と「三曲万歳」の分析を通して表紙絵解説《DEEDS of COLORS 蝶》  編集後記 岩瀬さくら金川千夏小島大輝樋口萌音山上千乃小林英樹66687073767980

Japanese

阪野, 智啓

バンノ, トモヒロ

Tatebaku（Yosebaku）: An Examination of Gold Leaf Forming Techniques in the Early Modern Period

七條, めぐみ

シチジョウ, メグミ

武田, 真於

タケダ, マオ

54 mixed muses no.20　2024 年 11 月 30 日（土）、音楽学コース創立 30 周年記念シンポジウム「音楽学から広がる多様なキャリア」が開催された。本シンポジウムでは、愛知県立芸術大学音楽学コースの卒業・修了生から、多様な分野で活躍する 4 名をゲストとして招き、現在の仕事と音楽学との関りについてお話いただいた。そうすることで、音楽学の学修がどのようなキャリアに結びつくのかを浮かび上がらせ、狭義の研究者育成にとどまらない「音楽学研究」の可能性を提示することが目的である。本稿では、シンポジウムの開催概要と傍聴記をまとめる。1　なお開催にあたっては、愛知県立芸術大学中村桃子基金研究事業に採択していただき、助成金を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。1. 開催概要日時　　2024 年 11 月 30 日（土）13:30 ～ 17:30会場　　愛知県立芸術大学新講義棟大講義室（ZOOM によるリアルタイム配　　　　信とのハイブリッド開催）主催　　愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻音楽学コースプログラム開会のごあいさつ「音楽学コース 30 年の歩み」（安原雅之）第 1 部　卒業生による講演　森本頼子　　「学生時代からの音楽研究生活を振り返る」　鈴木美早紀　「音楽療法分野の関心から特別支援教育の道へ」　八木宏之　　「自分の発信基地を持とう！～クラシック音楽の WEB メディ　　　　　　　 アの作り方～」　佐藤さくら　「私の会社員人生～音楽を通した社会貢献を目指して～」第 2 部　意見交換会シンポジウム報告音楽学コース創立 30 周年記念シンポジウム　開催報告七條めぐみ　愛知県立芸術大学音楽学部専任講師（音楽学）武田真於　愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程（音楽学）55mixed muses no.20図 1　シンポジウムのチラシ（表）56 mixed muses no.20図 2　シンポジウムのチラシ（裏）57mixed muses no.202．傍聴記2‒1. 卒業生による講演（1）森本頼子さんの講演　森本さんの講演では、「学生時代からの音楽研究生活を振り返る」と題して、音楽研究者の視点からキャリアについてお話しいただいた。まず学生時代までの振り返りとして、幼少期から習い事や部活で音楽に触れるうちに「音楽の裏側にあるもの」への興味から音楽学を専攻したという経緯を述べられた。学部と博士前期課程では「民族的な香りのする芸術音楽への関心」からプロコフィエフの作品研究を行い、博士前期課程修了後は一度研究から離れるも、数年後には博士後期課程へ進学されたという。博士後期課程では、新しく「農奴劇場」をテーマに設定し、ロシアでの一次資料収集や出産を経験しながら研究を継続された。現在は複数の大学で非常勤講師や研究員を務めつつ研究活動を行なっている。研究活動では、「18 世紀ロシアのオペラ文化」「白系ロシア人のオペラ活動」「上海フランス租界の音楽文化」の 3 つをテーマとし、共同研究や研究資金の獲得、国際学会での発表など精力的に活動されている。講演の最後には、研究を継続的に楽しむためのアドバイスとして「予定を入れること」「挑戦すること」「仲間をつくること」の 3 点を示された。　大学入学、博士前期・後期課程という進路選択の場面には共通して、森本さんの音楽や音楽研究に対する知的好奇心が見られるように思った。発表では一貫して「楽しむ」ことに重点が置かれている様子で、森本さんのキャリアの中で「研究を楽しむ」という点が重要視されていることがひしひしと感じられた。研究者として挑戦し続ける中でも「楽しむ」気持ちを忘れない森本さんの姿勢に学ぶことは多いと感じた。（2）鈴木美早紀さんの講演　鈴木さんの講演では「音楽療法分野の関心から特別支援教育の道へ」と題して、自身のキャリアの歩みをお話しいただいた。大学在学中には音楽療法への興味から、実践的な活動への参加や大学間単位互換制度を活用し発達心理学や精神医学等を学んだという。卒業後は国立秩父学園附属保護指導職員養成所を経て、子供を対象とした実践活動へと進路を定めた。現在は特別支援学校に勤58 mixed muses no.20務し、生徒の進路に寄り添うことを意識した指導を行っている。鈴木さんは「音楽学から広がる学び」として、特別支援教育における PDCA サイクルが、音楽学における課題分析・考察の過程との類似性があると紹介された。結びには、在学生へのメッセージとして「些細なことから挑戦してみること」「色々な人に相談してみること」「自分の探究心を突き詰めること」「自分で納得して進路を選択すること」の 4 点を述べられた。　鈴木さんのキャリアの歩みを通して、音楽学とは異なる教育の分野においても、大学で得た知識や経験がキャリア形成の基礎となることが分かった。この点を通して考えると、自分自身がやりたいことを常に意識し、小さな挑戦を重ね経験を積んでいくことが、現在の自分と将来の自分にとって役立つことであると改めて思った。（3）八木宏之さんの講演　八木さんは「自分の発信基地を持とう！～クラシック音楽の Web メディアの作り方～」と題し、フリーランスの立場からキャリアに関する講演を行っていただいた。愛知県立芸術大学には博士前期課程から所属し、ベルリオーズを対象に研究を行った。その後パリ＝ソルボンヌ大学音楽専門職修士課程に入学ののち、修了後はクラシック音楽のアーティストを対象としたマネジメント会社である株式会社 AMATI に入社し、マネジメント業務等を行ったという。コロナ禍を経て、現在は音楽評論家やジャーナリストとしても活動しており、雑誌への寄稿やプレトークなども行っている。2021 年には Web メディア『FREUDE』を開始し、新しい世代へのリーチや若い音楽ライターの活躍の場の提供を目指されている。発表では、音楽ライターを取り巻く現実を示しつつ、自身の発信基地を持つことの重要性を強調された。SNS やブログ等の発信基地を持つことで「自分は何者かを発信する」「自分のキャリアを自分で方向づけしていく」「仕事を自分の得意分野に引き寄せていく」という流れを紹介し、むすびとされた。　八木さんの講演は、フリーランスとしてどのように仕事を確立していくか等の具体的な戦略や思考を聞く貴重な機会であった。Web メディア『FREUDE』は八木さんの「発信基地」という役割だけでなく、同じキャリアを目指す若者59mixed muses no.20の背中を押す媒体でもあると感じた。（4）佐藤さくらさんの講演　佐藤さんは「私の会社員人生～音楽を通した社会貢献を目指して～」と題し、会社員の立場から自身のキャリアを述べられた。佐藤さんは、大学入学当初から音楽に関する仕事への就職を視野に入れており、在学時には文化復興財団を中心に就職活動を行ったという。その後浜松市文化財団の非常勤職員として採用され、浜松市楽器博物館で展示解説や企画展制作、アウトリーチ活動（移動楽器博物館）などの業務を経験された。以上の仕事を通して、大学での学びを活用する機会や社会貢献を実感できる機会を得て、やりがいを感じたとお話しいただいた。その後、音楽団体に特化した旅行の斡旋を行う株式会社アコードに就職し、旅行案内やステージマネジメント、学校への演奏活動など幅広く手がけておられた。現在は同会社の総務部に所属して学部時代に培った力を生かしながら業務に当たって、「色々な可能性にチャレンジしてみましょう」と在学生へのメッセージで締めくくられた。　佐藤さんの講演では「音楽に携わりたい」「イベントを企画したい」という自身の目標を達成しつつ、会社員として社会貢献をしている姿が印象的であった。社会に知識を還元しながら、自分の人生を充実させていくという過程を具体例から知ることができたと感じた。写真 1　第 1 部の発表者と参加者の様子60 mixed muses no.202-2. 意見交換会　第 2 部の意見交換会では、各登壇者にさまざまな質問が寄せられた。主に各キャリアでのサバイバル術や学生時代の過ごし方、仕事の進め方について議論が交わされた。　サバイバル術に関して、森本さんは継続することの重要性をお話しされた。他の質問では研究が形となり感想をもらうことで、社会と繋がっている感覚に喜びを覚えるとも述べられており、そのお話から、継続しているからこそ達成したときの喜びもより大きくなるのではないかと感じた。鈴木さんは、自己を理解し自分がやりたいことは何かを常に追い求めることが重要であると改めて述べたのち、他の質問において自己理解のためにはまず師と仰ぐ人物を真似することから始め、その後自分なりの方法を模索するというアドバイスを加えた。八木さんは自由でいて自由でないフリーランスの現状を語りつつも、自身の方向性を早期に決定づけることの意義をお話しされた。それに付け加え、謙虚に行いつつも流されない姿勢を重要視された。佐藤さんは自身のモットーである「置かれた場所で咲く」という言葉をご紹介され、在学生にとって進路選択を考える良い機会となった。（武田真於）3. むすびに変えて　音楽学コースでは 2024 年 3 月までに、のべ 73 名の学部卒業生、41 名の大学院修了生（修士課程・博士前後期課程）を輩出した。その中には、音楽学の学問分野にて研究を行っている方、演奏と研究の両面に取り組んでいる方、教写真 2　第 2 部意見交換会の様子61mixed muses no.20育現場で奮闘されている方、音楽に関わりのある企業や団体で活躍されている方など、ひじょうに多彩なキャリアの築き方が見受けられる。今回のシンポジウムでは、あえて分野が重ならないようにお声がけしたため、講演依頼を断念した卒業生・修了生も多くいらっしゃる。また、シンポジウムの準備、公開においては、チラシデザインを井上憶人さん、動画編集を川島大輔さんに依頼した 2。いずれも、音楽学コースを旅立ち、現在は音楽制作やデザインの分野で活躍されている方たちである。このように、卒業生の進路が多方面に広がっていることは、「音楽学」そのものがかなり広い範囲を射程に据えた学問であることと無関係ではないだろう。近年の卒業論文・修士論文のテーマ選びにおいては、これまで「定番」であった西洋音楽の作曲家・作品研究だけでなく、日本のポピュラー音楽、伝統芸能、民俗芸能、邦楽実践、ゲーム音楽など、さまざまな音楽を含む事柄が対象となっている。この動向を反映して、いまの在学生が社会に出てキャリアを築く頃には、音楽学コースの進路もさらに多様な可能性に富んでいるのではないかと、早くも楽しみである。（七條めぐみ）注1 本稿では、項目 1. と 3. を七條、2. を武田が担当した。なお本稿では登壇者および関係者の敬称を「さん」で統一させていただく由、ご了承ください。2 講演部分の動画を、愛知県立芸術大学音楽学コースの YouTube チャンネルにて公開している。https://www.youtube.com/channel/UCAF1luaiYBISubPYbhAkVyw

音楽学コース創立30 周年記念シンポジウム 開催報告：シンポジウム報告

「敵国優遇」から「国際標準」へ：ドイツ軍俘虜の音楽活動における外国人視察の果たした役割

本田, 光子

ホンダ, ミツコ

Succession of the tale of Genji imagery  A case study with the screens of the Tale of Genji Wakamurasaki and Ukifune chapter in the Sidney and Lois Eskenazi Museum of Art, Indiana University

80 mixed muses no.20編集後記　2024 年度の『ミクスト・ミューズ』が出来上がりました。今号では拙稿と安原先生の論文のほかに、井上さつき先生（本学名誉教授）から、マルク・バティエ先生（パリ＝ソルボンヌ大学名誉教授）の新刊紹介をご寄稿いただきました。ありがとうございました。また、『ミクスト・ミューズ』第 20 号、音楽学コース創立 30 周年記念号として、コースの歴史を振り返る記念特集と、2024 年 11 月 30 日に開催したシンポジウムの報告を掲載しました。懐かしい写真もいくつか再録したので、当時を思い返す一助になれば幸いです。　今年度も、音楽学コースの院生・学部生が貴重な春休みの時間を使って編集作業を進めてくれました。博士前期課程 1 年の武田さん、学部 3 年生の高瀬さん、樋口さん、山口さん、丁寧な作業をありがとうございました。音楽学コース演習室にて、お菓子を持ち寄りながら仲良さげに作業する姿を見て、多忙極まる年度末に救われる思いでした。（七條めぐみ）　音楽学コースが創立 30 周年を迎える今年度に、『ミクスト・ミューズ』としても節目となる第 20 号の編集作業に携わることができ、非常に嬉しく思います。編集作業では七條先生、前号編集長の樋口萌音さん、高瀬さん、樋口伎凜さん、山口さんに助けていただきながら、今年度も無事に刊行することができました。お忙しい中、原稿と表紙絵をお寄せくださった執筆者の皆様に心より御礼申し上げます。（武田真於）　今回、先輩方の卒業論文・修了論文要旨の編集作業を担当いたしました。来年度の卒業論文執筆に向けて学びの多い経験になりました。また、音楽学コースの学生の研究分野の多様さを改めて感じました。昨年度よりも多くの担当を任せていただきましたが、編集長はじめ編集委員の皆さん、そして先生方の助けのおかげで無事刊行まで運ぶことができました。ありがとうございました。（高瀬葵生）　今回初めて、ミクスト・ミューズの編集作業に携わらせていただきました。分からないことだらけでしたが、先生方や先輩の温かい支えによって無事に編集を終えることが出来ました。伝統ある紀要の編集に参加出来たこと、大変光栄です。とても貴重な経験となりました。ありがとうございました。（山口菜々子）　最近、妖怪に出会う頻度が極端に減りました。同時に 3 体のべとべとさんを引き連れて歩いたこともあったのですが、年齢とともに離れていったのでしょうか。非常に寂しい半面、人間の方で素敵な出会いが増えたように感じます。本格的なソフトを用いた編集は今回が初めてでしたが、先輩や先生のお力添えのおかげで乗り切ることができました。執筆や表紙絵など、関わってくださった方々とそのご縁に心から感謝しております。（樋口伎凜）

編集後記

春田, 登紀雄

ハルタ, トキオ

The design of European typeface and logotype design for Aichi University of the Arts

安原, 雅之

ヤスハラ, マサユキ

Yasuhara, Masayuki

21mixed muses no.201. はじめに　20 世紀後半の日本において、さまざまな “ ロシア民謡 ” が広く親しまれるようになった。換言すれば、ロシア民謡がよく聞かれ、よく歌われるようになったが、そのような状況が導かれたことの要因として、大きく次の 3 点を挙げることができよう。（1）第 2 次世界大戦後、シベリア抑留から帰還した音楽家によってロシア民　　　謡が紹介された。（2）戦後の日本で起こった “ うたごえ運動 ” で、ロシア民謡が盛んに歌われた。（3）人気男性ボーカル・グループ等がロシア民謡をレパートリーにしていた。　これらのことがらは、それぞれ互いに深く関わりながら展開し、結果的にロシア民謡が広く普及する結果となったと思われるが、本稿は、特に上記の（1）と（3）を少しくわしく考察することによって、ロシア民謡が普及した背景の一面を明らかにすることを目的とする。2. 井上頼豊の功績　井上頼豊（1912-1996）は、日本のチェロ奏者、教育者である。『新グローヴ世界音楽大事典』の「井上頼豊」の項目には、チェリストとしての活動履歴のほか、雑誌『音楽研究（後に《音楽評論》と改題）の編集を担当したことなどが触れられている。さらに、「（19）78 年、関鑑子死去のため、中央合唱団の指揮者となる」とある。関鑑子（1899-1973）は、「第二次世界大戦後、日本共産党員として同党の文化政策に基づく実践活動を行い、国内外において、日本のうたごえ運動の創始者と見なされるようになった」1 人物である。うたごえ運動において歌われたレパートリーではロシア民謡の曲も数多く含まれているが、彼らの活動に井上が直接関わっていたことがわかる。　そして、事典この項目の最後には、次のように記載がある。安原雅之　愛知県立芸術大学音楽学部教授（音楽学）20 世紀後半の日本におけるロシア民謡について22 mixed muses no.20この間 29 回に及ぶチェロ・リサイタルを開き、36 年から 86 年までの初演作品は 146 曲、うち日本人作品は 69 曲に上る。チェロ奏者としての内外の作品紹介に尽力するほか、演奏・執筆の両面でソヴィエト音楽の紹介・啓蒙に努め、同時に我が国の民主的音楽運動にも広く寄与している。主要著書に《ソヴィエト音楽の 30 年》《ロシアの民謡》《ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ・人と作品》など９点を数える。2　ここで言う「我が国の民主的音楽運動」は、上記の「うたごえ運動」のことであると考えられる。　また、『ロシアの民謡』は、「古代叙事詩からソヴィエト歌曲まで」という副題がつけらているもので、「ロシア民謡とその起源」、「ロシア民謡の性格」、「ロシア民謡の歴史と様式」、「ロシア民謡の音構成」、「ロシア民謡とロシア國民樂派」、「ソヴィエト歌曲の性格」、「ソヴィエト歌曲の歴史」、「ソヴィエト歌曲の発展の基礎」といった見出しの内容から構成されており、当時としては新しい、音楽の専門的な視点で書かれた解説書となっている。また、巻末には「ロシア民謡曲集」が附されており、全 31 曲の楽譜が掲載されている（下記の一覧を参照）。いずれの曲も、キリル文字の原詩およびそのカタカナの読み方、歌詞の邦訳が記載されている。これらの楽譜は、当時ロシア民謡を歌う人にとっては貴重な情報源となっていたであろうことが想像できる。井上頼豊『ロシアの民謡』に収録されている楽譜一覧・ロシア民謡篇ステンカ・ラージン／小さなぐみの木／走るトロイカ／はてもなき荒野原／エルマクの死／郵便馬車の馭者だった頃／カリンカ／おおカリーヌンカ／ヴォルガの川下り／バイカル湖のほとり／りんご／吹け風 吹け風・ソヴィエト歌曲篇ウラル散歩のチュバーエフ英雄／満州の丘に立ちて／祖國の歌／暗い夜／ともしび／カチューシャ／前線の森にて／戰線のひげ（泉のほと23mixed muses no.20りで）／今ぞ飛び行かん／スリコ／五月のモスクワ／ドニエプルの歌／バルカンの星の下で／波止場の夜／シベリア大地の歌／黄金の小麦／さびしいアコーディオン／遠く海のかなた　また、事典の項目では触れられていないが、井上は、1943 年に召集され、戦地に赴いている。その当時の出来事を、井上の当時の活動において特に重要と思われる事項を略年表から抜粋する。3表 1 年表24 mixed muses no.20　この略年表からもわかるように、井上のチェロ奏者としてのキャリアは戦争によって中断され、また、シベリア抑留の経験の中で、音楽家としてもロシア・ソヴィエト音楽との深い関わりが築かれた。　日本におけるロシア民謡の普及に関わることとして、井上は、まず『ロシアの民謡』を著し、ロシア民謡の歴史や理論的な説明を行い、主要なレパートリーの楽譜を出版したことは日本の音楽界に大きな影響を与えるものであったであろう。また、それらをレパートリーとする合唱活動にも直接的に関わったことで、井上が日本におけるロシア民謡の普及に大きく貢献したと言えるだろう。3. NHK 紅白歌合戦で歌われたロシア民謡 5NHK 紅白歌合戦は、プログラム構成や、番組の視聴率など、いろいろな面で変化は見られるが、いずれにしても毎年大晦日に放送される人気番組であることに変わりはないと言っても過言ではないだろう。この番組は、1951 年に、東京放送会館第 1 スタジオを会場に正月のラジオ番組としてスタートしているが、第 4 回（1953 年）からテレビ中継が開始された（会場は日劇［日本劇場］）。下記は、紅白歌合戦で歌われたロシア民謡の一覧である。　いずれの曲も、日本ではロシア民謡を代表する曲として知られていると言えるだろう。ここでは、主にダーク・ダックスに焦点をあてる。　ダーク・ダックスは、1951 年に慶應大学出身のワグネルソサエティのメンバーよって結成された男性ボーカル・グループである。ロシア民謡のほか、幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとした。紅白歌合戦は 1959 年が初出場で、表 2 NHK 紅白歌合戦で歌われたロシア民謡一覧25mixed muses no.20その後 1971 年の第 22 回まで 14 回連続出場し、その後 1976 年の第 27 回にも出場した。全 15 回の出場で、3 回ロシア民謡を取り上げた。　レコード会社テイチクの社史には、1959 年の「主な作品」して紹介される全 7 作のうち 3 作がダーク・ダックスのもので、そのうちのひとつが〈ともしび〉であった。14 現在、UNIVERSAL MUSIC JAPAN からダーク・ダックスの録音が発売されているが、日本歌曲を集めたアルバム以外は、いずれのアルバムにもロシア民謡が含まれており、それらが彼らによって定番のレパートリーだったことがわかる。　また、ダーク・ダックスは日本におけるロシア民謡の普及に貢献することとなっただけでなく、何度もソ連を訪問して公演活動を行なっている。1967 年には、文化庁主催の芸術祭の大衆芸能部門で奨励賞を受けた際の新聞記事で、次のように紹介されている。［…］レパートリーは、ジャズ、民謡、ポピュラー。中でもロシア民謡が得意だ。三十五年から三回もソ連に渡って公演、本場で歌って喜ばれた経験が大きな自信にもなっている。15　その後も、ソ連での演奏旅行は行われていた。下記のものは、1977 年 6 月27 日（月）付の朝日新聞の記事（全文）である。「ソ連に強いダークダックス／好評で再契約申し込まれる」　日本のボーカル・グループ「ダークダックス」は去る二日に新潟から空路ハバロフスク入りし、同市を皮切りに、イルクーツク、ヤロスラーブリ、モスクワ、ロストフ、キエフと二十九日までソ連国内を演奏旅行している。六十年六月に初訪ソ以来、今度は五回目とあって、ソ連国内での地名度はきわめて高く、合計二十五回の公演で約七万五千人の動員が見込まれ、各地方とも満員御礼札止めの盛況である。　十七日から二十日まで行われたモスクワ公演は約二千人収容のエストラーダ劇場がほぼ、満員の入り。第一部は「荒城の月」「シクラメンのかほり」「北の宿から」など日本の歌謡曲や民謡だが、ムード・ミュージック26 mixed muses no.20風にアレンジしたのがソ連人にもわかりやすく、一曲終わるごとに猛烈な拍手。第二部はがらっと趣向を変えて、この二月の南米公演の時に仕入れた「サンバ」のメドレーや「カチューシャ」「トロイカ」などのロシア民謡。中でも日本でもヒットを飛ばした「鶴」はソ連でも一時はやったことがあるだけに、アンコールの声がかかった。びっしり詰まった公演の合間を縫って、一行は十九日夜モスクワ市内のレストランで開かれたモスクワ日本人会（会長 中里日航モスクワ支店長）主催の「ダークダックスを囲む夕べ」に無料出演。ソ連側はダークダックスの相変わらずの人気にすっかり気をよくしている。ダーク側は「再契約を申し込んできているが、スケジュールの調整がなかなかつかなくて［…］」と駆け出しのボーカル・グループとは違って貫禄のあるところを見せている。一行は七月一日に帰国の予定。（モスクワ＝白井特派員）　この記事から、1977 年の段階で訪ソは 5 回を数えており、彼らの知名度も高まり、ロシア民謡も彼らにとって重要なものなっていたことがわかる。　紅白歌合戦で〈一週間〉を歌ったボニー・ジャックスも、当時人気を博したボーカル・グループで、ダーク・ダックス同様にロシア民謡を得意なレパートリーとしていた。〈一週間〉は、NHK の「みんなのうた」で、ボニー・ジャックスによる演奏が同じ 1963 年の 4 月から 5 月にかけて放送されていた。16 この番組では、その月の曲が何度も繰り返し放送され、また、聴取者には低年齢層が含まれることから、この曲の知名度を上げることに貢献したと考えられる。「紅白歌合戦ヒストリー」の解説によれば、この回の視聴率は 81.4％を記録しており、「8000 万人が見た〈紅白〉。空前の視聴率を記録。」と称されている。17森繁久彌とアイ・ジョージがどのような理由でロシア民謡を歌うことになったかということは不明だが、当時知名度の高かった二人が歌ったことの効果は大きかったのではないかと想像できる。　ボニー・ジャックスもソ連演奏旅行を複数回行っていた。また、紅白歌合戦には出場していないので、ここではとりあげないが、同様の男性ボーカル・グループであるロイヤル・ナイツ 18 は、ソ連での演奏旅行に関しては、他のグ27mixed muses no.20ループを凌いでいた。　ソ連で爆発的な人気――各地で公演予定を延長さきのダーク・ダックスにつぐ、大ヒットで、十二月一日のキエフ公演（スポーツ宮殿、六日間）以来好評を呼び、レニングラード公演は八日から五日間（文化宮殿）の予定を、それんがわの要望で二日間延長、その二日間は音楽の殿堂コンセルバトール劇場を提供され、一行が面くらったほどの待遇だった［…］19　このグループのメンバーのひとりはロシア語も堪能で、そのため、彼らによるロシア語によるパフォーマンスは聴衆をひきつけていたようである。　日本で、複数の男性ボーカル・グループが人気を博し、一斉を風靡したと言っても過言でなない状況をつくった背景には、「うたごえ運動」のような文化が栄えたことがあったのでないかと考えられる。声楽の訓練をうけた歌い手によるボーカル・グループの歌唱は、素人による合唱団にとっては合唱のお手本になっていたのであろう。また、各ボーカル・グループのレパートリーが、ロシア民謡のほか、山の歌や唱歌、世界の民謡など、うたごえ運動で歌われていた曲と共通していることからも想像できる。4. おわりに　本稿では、まず、井上頼豊による功績から、第二次世界大戦後の日本においてロシア民謡が広く親しまれるようになる土壌が築かれたことを明らかにした。また、後半では、人気ボーカル・グループらによってロシア民謡が歌われていたことを確認した。また、彼らがソ連で演奏旅行を行い、現地では日本の歌とロシア民謡を歌って人気を博したことがわかった。彼らの活動によって、両国の音楽文化のなかに大きな流れができていたとも言えるだろう。　日本におけるロシア民謡については、うたごえ運動のほか、学校教育におけるロシア民謡についても調べる必要があろう。また、ソ連における日本のボーカル・グループの活動については、ソ連（ロシア）側の資料も調査すべきであ28 mixed muses no.20ろう。参考文献井上頼豊『ロシアの民謡：古代叙事詩からソヴィエト歌謡まで（附 ロシア民　　　　謡曲集）』筑摩書房、1951 年。井上頼豊（外山雄三、林光編）『聞き書き 井上頼豊：音楽・時代・ひと』音楽　　　　之友社、1996 年。「井上頼豊」『ニューグローヴ世界音楽大事典』北川剛『ロシア民謡の歴史：民族と風土のうたごえ』音楽之友社、1968 年。朝日新聞　1966 年 12 月 21 日（水）夕刊 12 ページNHK ウェブサイト注1「日本のうたごえ運動実行委員会トップページ（https://nihonnoutagoe.jimdofree.com）2「井上頼豊」『ニューグローヴ世界音楽大事典』3 井上頼豊 1996: 275-2864 北川剛（1921-1986）：合唱指揮者、音楽評論家。第二次世界大戦終戦後、井上頼豊（チェロ奏者）、黒柳守綱（ヴァイオリニスト）等と楽団を結成。収容所を慰問すると同時に、土地の人々と交流、ロシア民謡に触れる。帰国後、中央合唱団活動に参加。昭和 25 年合唱団「白樺」を発足。著書に、「ロシア民謡の歴史」「ロシア民謡アルバム」など。5 紅白歌合戦に関する情報は、基本的に NHK のウェブサイト「紅白歌合戦ヒストリー」に基づく。（https://www.nhk.or.jp/kouhaku/history/history.html?count=6）6 ソ連時代に流行した曲。詩はミハイル・イサコフスキー（1900-1973）による。作曲者不詳。戦地に赴く若者とその恋人の離別、故郷と前線を隔てた交情を主題とする。7 もりしげ ひさや（1913-2009）：日本の俳優、歌手。8 この歌は、ミハイル V. イサコフスキー（1900-73）の詩をもとに、マトヴェイ I. ブランテル（1903-90）が 1938 年に作曲した。“ カチューシャ ” とは、エカテリーナという女性の名前の愛称で、この歌は、カチューシャが岸辺で恋人を思う気持ちを歌い上げる。第２次世界大戦中には、レジスタンスの歌として国境を越えて広まり、その後もロシアを代表する歌として歌い継がれるようになった。29mixed muses no.209 1959 年にソ連で発表された曲。ジェレーナ・ヴェリカノヴァ（1923-1998）が歌ってヒットした。10 1958 年に、早稲田大学グリークラブに所属していたメンバーによって結成されたボーカル・グループ。11 滑稽な内容の、曜日の数え歌。女性の一週間の様子を歌で綴るもので、19 世紀には歌われていたと考えられる。作詞者と作曲者不詳。12 カリンカとは、ガマズミ族の樹木カリーナの指小辞。民謡研究者イワン P. ラリオーノフ（1830-1889）の作詞・作曲による。13 アイ・ジョージ（1933-2025）：日本の歌手、俳優。14 テイチクのウェブサイト「テイチク社史」（https://www.teichiku.co.jp/90th/history/#y1950）あとの２作は「雪山讃歌」と「宵待草」である。ダーク・ダックス以外のものは、石原裕次郎と三波春夫の作品がそれぞれ 2 作ずつ含まれている。15 朝日新聞　1967 年昭和 42 年 12 月 20 日朝刊 14 ページ16  NHK みんなのうた ウェブサイト　 https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN196304_02/17 https://www.nhk.or.jp/kouhaku/history/history.html?count=1418 1959 年に結成されたボーカル・グループ。音楽大学出身者を中心としており、また、メンバーの一人である山下健二（1993-2024）はロシア語が堪能であり、ソ連での演奏活動も盛んだった。19 朝日新聞 1966 年 12 月 21 日（水）夕刊 12 ページ

20 世紀後半の日本におけるロシア民謡について

小林, 英樹

コバヤシ, ヒデキ

79mixed muses no.20表紙　小林英樹　《DEEDS of COLORS 蝶》130.3cm×194.0cm 1988 年表紙絵解説　わたしは、1984 年以来、「色彩による行為」と銘打って個展を続けていました。　明確なイメージを表現するのではなく、自分の混沌とした精神状態をできるだけ忠実に造形化できないだろうかという気持ちで描いた作品群の一枚です。展示当時にはありませんでしたが、ここでは《蝶》というタイトルも併記させてもらいました。　わたしは自分を一匹の蝶として描きました。画面には同じような大きさの蝶が無数います。でも、自分はどこに描かれているかわからない、それが制作中のわたしのなかにありました。特定してはならない、いや、特定できない無数の蝶のなかの一匹が自分である、取り立ててこれがわたしという意識を払拭することが制作中の自分のなかに強くありました。この意識はその後も、いまも連綿と続いているような気がします。多くの人間、たくさんの生き物のひとつとして目立たずに存在している、それだけ。制作の出発点にその漠然とした思いがあるということには何か躊躇するものがあり、他人には語れないものでした。　今年で 78 歳、そろそろ消えていくときが近づきつつあります。そんないま、この蝶の作品制作時の気持ちが自然に思い浮かびました。わが内にある自意識過剰と表裏一体の意識、やはり、最後はこれかもしれませんね。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　小　林　英　樹

《DEEDS of COLORS 蝶》: 表紙絵解説

Not a member yet