「帝国」的地球社会における市民化と再市民化

Abstract

米ソ冷戦終結後、世界が大きく変わりつつあり、「帝国」と呼ばれるような新しい支配システムが形成されつつあるなかで、アメリカにたいする同盟関係、批判的立場、激しい反発などを示しながら、世界各国および市民たちの動きが展開している。このような新しい地球社会状況をとらえるためには、ハバマスの新近代主義、ルーマンの超近代主義などでは十分でなく、フーコーやドゥルーズやガタリなどのポスト構造主義でも十分でない。西洋的知性の限界を本気で乗り越えようとしたデリダの思想と、それに刺激され、植民地化された体験をふまえて、まだ明らかにされていない植民地犠牲者や、新たに生み出されていく内的植民地の犠牲者たちの声を聞きながら、社会をとらえ直す必要性を強調したスピヴァクなどのポストコロニアリズムに学びつつ、「帝国」的システムを批判的にとらえていくことが必要である。そのために著者は、ハートとネグリの「帝国」論を評価しつつもそれを乗り越える立場から、帝国と市民社会をキーとする新しい社会発展論を展開し、地球社会の現状を、一方にいまだ市民化されていない多くの社会があるのにたいして、他方ですでに市民化されたのに再度主権を剥奪されていく、つまり脱市民化されていく社会がある状況としてとらえる。未市民化社会ではさらなる市民化が必要であり、脱市民化社会では、市民たちがあらためてもう一度主権を回復していく再市民化が必要である。このような視覚から現代世界を見直してみると、成長しつつある東アジア諸社会、発展しつつあるヨーロッパ連合、それ自体脱市民化されつつあるアメリカなどとの対比で、ナショナリズムにとらわれて「鎖国」気味の現代日本の危うい状況が浮かび上がってくる

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