Abstract

戦前の日本の助産婦は,わが国の母子衛生の向上に大きく寄与し,国民の全てが知る存在であった。その活躍は,地域に根ざした,きめ細やかな妊産婦管理を中心とし,家族の健康管理にまで留意するものであった。国策により助産婦は日本の母子保健行政の中核をなす存在であったが,戦後,連合軍の指導のもとに看護行政が改革され,助産婦教育は看護婦課程を終了することが義務づけられた。このことは,看護者としての資質の向上にはつながったが,助産婦学校の数の減少を招き今日の大幅な助産婦不足を招来した。分娩の形態も時代とともに変化し,昭和30年代から施設内分娩が増加し,助産婦活動が地域から施設へと移行していった。国策に対応した助産婦活動は,母子保健の専門家としての助産婦の地位を獲得していたが,保助看法制定以後は,助産婦の数の減少に伴い,施設内での助産婦活動が主流を占めるようになった。現在では,助産婦の専門性を確立するための方法を,助産婦自身が助産婦活動の中に見いだそうとしている

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