幕末維新期における日向諸藩の「隣交」関係について : 慶応三年の幕領預りをめぐって

Abstract

慶応三年二月、九州の幕領は周辺大名が預かることになり、日向国幕領は譜代延岡藩が預ることになった。しかし延岡藩はともに細島警備を担った高鍋藩へ半方分配するよう歎願し、飫肥藩も念願の幕領預りを独自に歎願して、結局三藩で預ることになる。ところが日向四藩のうち佐土原藩だけが分配されないことになると、日向四藩の「隣交」関係に支障をきたすことになるため、高鍋藩が首倡して四藩で分配することの周旋に乗り出す。各藩ではそれぞれの思惑もあり、飫肥藩の反対も根強かったが、漸く四藩で預ることを確認し合う。しかし、同年十月十五日には大政奉還がなされ、歎願書提出の猶予も検討されたが、同月二十八日付でとりあえず三藩預りとされた。こうした経緯から、日向四藩の「隣交」関係は、驚異の的であった薩摩藩を仮想敵として結ばれ、これがやがては明治三年の四藩会議・合同操練へと繋がっていく。日向国という領域意識は、幕末の海防とともに、幕領預りを契機に漸時形成されていくのである

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