Abstract

筆者は、同じ表題で、すでに二つの論文を公にしているが、「ある詩語の水脈」「北原白秋の場合」という副題をそれぞれに付して、区別してある。三編目の今回は、「三木露風の場合」である。室生犀星の「したたり止まぬ日のひかり/うつうつまはる水ぐるま」(「寂しき春」) という表現に集約的に完成されるところの、水をではなく光りを、したたるものとして捉えるという、特異な発想の出没の跡を追跡する試みの一部である

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