東京都立大学Tokyo Metropolitan University博士（経営学）doctoral thesi

イシザワ, イズミ

石澤, 泉

Japanese

Tokyo Metropolitan University Institutional Repository Miyako-Dori / 首都大学東京機関リポジトリ

  【学位論文審査の要旨】 1. 本論文の目的と問題意識  本論文の目的は、ソーシャルマーケティングによる社会的レベルの消費行動の変容プロ セスを考察することである。こうしたソーシャルマーケティングの研究課題は、近年マク ロ・ソーシャルマーケティング(MSM)と呼ばれる。MSM は、マーケティング論にもとづきつつもシステム思考と制度論を理論的基盤とし、個人レベルの変容とは対照的に、社会的レ ベルでの消費行動の変容を捉えることを目指している。  商業マーケティングのソーシャル領域への応用として発展してきたソーシャルマーケティングは、これまで主として個人レベルの直接的な行動変容を主題としてきた。そのため、 社会的レベルの消費行動の変容はもとより、そうした消費現象に対する介入のあり方につ いては関心が寄せられてこなかった。いうまでもなく、社会的レベルの消費行動は社会的相 互作用によって決定づけられるため、個人レベルの行動に介入するソーシャルマーケティングよりも対処することが難しい。MSM が対象とする環境や健康などの問題は、多くの場 合、複雑で厄介な問題であるとみなされてきた。これに対して、近年注目されるシステム思考と制度論は社会レベルの消費行動の変容を捉える新しい視座を提供し、ソーシャルマーケティングの介入の可能性を明らかにすることが期待されるようになっている。 とはいえ、現状では MSM の専門領域・研究領域が確固として存在しているわけでなく、また具体的な介入の方法が明らかにされているわけではない。MSM は、現在まさに形成されつつある新たな研究領域である。そこで本論文では、MSM 視点による消費行動の変容プロセスを包括的に考察し、理論的、実践的な示唆を得ようとしている。   2．本論文の構成  本論文は、全 12 章で構成されている。第 1 部となる第 1 章から第 5 章では、ソーシャルマーケティング研究のレビュー、MSM の理論的検討、さらには分析手法についての考察が行われている。後半となる残りの第 2 部では、健康・公衆衛生を中心とした複数の事例研究 2とその検討が行われている。具体的には、第 6 章では「禁煙」、第 7 章では「マスク着用」、 第 8 章では「生活習慣病」をキーワードとして、消費行動の変容プロセスが新聞記事のテキストマイングを用いて分析・考察される。以上の事例研究から、第 9 章で発見事実の整理と 考察が行われ、第 10 章では、発見事実をもとに、経営学上の実践的枠組みとして間接的アプローチとの接続が検討される。第 11 章では、新たな追加課題の考察を行うため、「ランニング」言説を中心とした消費行動の変容プロセスが分析される。最後に、第 12 章では本論 文の結果を総括し、本論文の貢献と限界がまとめられる。   3．本論文の概要  第 1 章では、本論文の問題意識と目的が述べられる。  第 2 章では、ソーシャルマーケティング研究における議論の変遷が検討される。大きな   流れとして、個人レベルを対象としたダウンストリームから、社会的レベルの変容を見据えたアップストリームへ、また直接的なマーケティングの応用だけではなく、長期的な行動変容を見据えた交換パラダイムから関係性パラダイムへの変遷が確認される。特に関係性パラダイムでは、関与するステークホルダーおよびステークホルダー間の相互作用に焦点を当てることの重要性が示される。このマルチリレーショナルモデルを基盤として、複数のアクターや彼らが作り出す制度への注目の必要性が明らかになるとともに、社会的相互作用によって形成される社会的レベルの消費行動とその変容が主題として位置付けられる。  第 3 章では、本論文が注目する理論的枠組みとして MSM が検討される。マルチリレーショナルモデルを前提とした時、MSM は、社会的レベルで生じる社会的相互作用をどのように捉えるのかという問題に直面する。この際に重要になると考えられたのがシステム思考である。システム思考では、直線的な因果関係や単なる相互作用関係ではなく、フィードバックループの存在に注目して社会現象を捉えようとする。フィードバックループは、多くの場合複雑で厄介な問題であり、自己強化型のループにせよ、バランス型のループにせよ、変容や介入の機会を阻んでいる。と同時に、MSM では、これらのループが明示的に明らかになることによって、新たな変容や介入の可能性を見出すことが可能になると期待される。  第 4 章では、MSM の調査・分析方法が検討される。これまでの MSM 研究では、制度論 やシステム思考をはじめとして、多くの理論的な議論がなされてきた。一方で、具体的な分析は限られており、その分析の多くも記述的な事例研究である。その理由として、具体的な分析方法があまりなかったことが挙げられる。しかし近年では、テキストマイニングが注目されるようになり、質的データをより包括的に分析するためのソフトウェアの充実がみられる。そこでこれらの新しい分析方法が議論され、MSM の調査・分析への応用が検討される。  第 5 章では、具体的な事例研究に先立って、新聞記事を用いたテキストマイニングの予備的考察が行われる。その結果、本論文の分析では、特定の時期ごとに示される共起的な事象の考察と、これらの事象の経時的な変化を捉えることによって、消費行動の変容プロセスを明らかにする方法が提案される。  第 6 章では、「禁煙」、第 7 章では、「マスク着用」、第 8 章では、「生活習慣病」をキーワードとして、消費行動の変容プロセスが分析・考察される。第 9 章では、これらの発見事実の整理と考察が行われている。いずれの消費行動についても、時間的な変容が確認される。禁煙においては、喫煙を当然と考える喫煙文化が強化のループを作り出していた時代において、健康被害や嫌煙活動が生じつつも禁煙には結びついてこなかったことが示される。と同時に、嫌煙活動がやがて分煙活動として表現を変える中で、国だけではなく企業側の支援的な行動とも結びつき、禁煙を促進させる新しいフィードバックループを作り出していく過程が示される。マスク着用では、より短期的な消費行動の変容として、マ  スク着用が作り出したマスク不足の強化のフィードバックループと、その解消過程が考察される。フィードバックループはしばしば遅れを伴い、その遅れが特定のフィードバックループを強める傾向がみられる。フィードバックループの遅れに注目し、その解消や別の回路を検討することがソーシャルマーケティングの介入の手段ともなることが明らかにされる。生活習慣病では、成人病から生活習慣病へと名称変更が行われたことに注目し、病気に対するさまざまなステイクホルダーの行動変容が検討される。成人病に対する治療が目指されていた時代から、生活習慣病への予防と運動が注目される言説の変化の中で、医療費の増大に関わる強化のフィードバックループが弱められていく過程が示される。  第 10 章では、実務的な示唆を伴う間接的アプローチ論が検討される。これまでの分析の結果示されたのは、強固に構築、維持されているようにみえるフィードバックループであっても、時間の中で徐々に変容をみせるということであり、その変容ではマーケティング上の介入の余地があるということであった。間接的アプローチは、経営実践における「意図せざる結果」を源泉にするとされ、直接的アプローチよりも効果的であるとされてきた。それゆえ、MSM と間接的アプローチとの接合を図ることによって、MSM に新しいインプリケーションを得られることが示される。具体的に、第 11 章では、さきに分析された「生活習慣病」の結果をもとに、特に「ランニング」言説の広がりに注目することを通じて、MSM と間接的アプローチが結びつけられる。社会事象に変容が生じた時、企業はその変容を新しい市場機会として認識することによって、新しい商品開発を進めるとともに人々に働きかけ、その変容を大きく発展させることができる。システム思考によって描かれたフィードバックループは、時間の中で生じる意図せざる結果とその結果に新しい可能性を見出すアクターの行動によって変容していくのである。  第 12 章では、本論文の結果を総括し、本論文の貢献および限界が述べられる。  【論⽂審査結果の要旨】 1. 審査結果  本論文には、大きく 3つの理論的貢献および実務的貢献が挙げられる。一つ目の理論的 貢献は、MSM 研究の意義の提示である。これまでの MSM 研究は萌芽的であり、具体的な分析についても十分であるとはいえなかった。これに対し、本論文では、ソーシャルマーケティング研究の系譜を包括的に捉え直すとともに、社会的レベルの考察の必要性を示し、その具体的な視点としてシステム思考の重要性を明らかにした。これらの議論は、先行研究においても提示されてきたものの、その論理的な整合性を再確認し、フィードバックループの理解について、新しい視点を提示した。  第二に、MSM の調査・分析方法を提示し、実際に分析結果を示した。これまで、MSM 研究の一部においてのみ、探索的な調査方法としてシステムソフトウェアが使用されてき た。本論文では、こうした研究を引き継ぎながら、新聞記事を主な分析対象として選定して分析を行った。さらに、共起的なネットワークの分析とその時間的な変化を捉えること  によって、消費行動の変容プロセスを明らかにした。  最後に第三として、消費行動の変容プロセスを明らかにするだけはなく、その結果をもとにして、社会的レベルの行動変容に企業やマーケティングが介入する可能性を考察し、実務的示唆を検討した。これまで、経営学においては、意図せざる結果に注目する間接的アプローチの可能性が議論されてきた。本論文では、フィードバックループにおいても生じる意図せざる結果に注目し、その結果に働きかける可能性を検討することによって、間接的アプローチと MSM を結びつけた。  他方で、本論文に対しては、いくつかの課題も残されている。第一に、システム思考に関するさらなる理論的考察が必要とされている。本論文で示された議論は、MSM 研究における断片的なシステム思考の考察にとどまっており、より広範に渡る理解と応用を検討する余地がある。第二に、理論的な課題と分析方法のより密接な接合が必要とされる。特にフィードバックループが本来示す因果関係について、テキストマイニングが果たす役割はより検討される必要がある。合わせて、分析対象やデータのより一層の精緻化が求められる。最後に、実務的な示唆について、ソーシャルマーケティング研究がこれまで示してきた介入について、さらなる考察が求められる。とはいえ、これらは本論文の貢献を損なうものではない。  2. 合否判定  本審査委員会は、学位申請者である石澤泉氏に対して、2023 年 1 月 17 日に本論文について公開審査を実施した。その結果、申請者が博士学位を取得するにふさわしい学識を有していることが確認できた。よって、本審査委員会は申請者に対して、東京都立大学博士（経営学）の学位を授与することが適当であると判定する。                                                                      以上 

マクロ・ソーシャルマーケティング視点による消費の体系的行動変容 : 健康・公衆衛生を事例として

https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/record/2000181/files/ishizawa_izumi_comments.pdf

マクロ・ソーシャルマーケティング視点による消費の体系的行動変容 : 健康・公衆衛生を事例として

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