An Empirical Study on Childcare/Edcation Curriculum Development in the Showa 20s (4): Focusing on Monthly Plans After 1950 (the 1950 54 year)

Abstract

本稿では、昭和 20 年代後半期の月案をとりあげて、その形式、単元・主題、保育内容等の特徴と傾向を分析した。対象としたのは、7 園・団体(公立 3、私立4)の 13 編の計画である。この多くが戦前からの歴史を持つ園等で、戦前から保育の計画を作成している。今回の研究の問題意識は、この時期が 1948 年に『保育要領』が出されてから 1956 年の『幼稚園教育要領』が出されるまでの時期でもあることから、公的なカリキュラムが 12 項目から 6 領域へと移る過程で計画にもその影響がみられると考えられているが、実際の保育の現場ではどうであったのか、各園や団体の月案にそれらの影響がどのように反映されているのか否かを確かめることである。併せて、この時期の保育雑誌等に掲載された月案の内容との比較を試みた。分析の結果、以下の点が明らかとなった。  1.今回の分析対象の月案等の多くは、主題・単元を基軸とした保育内容の構成となっており、保育内容の項目は 12 項目の影響を受けているものが大半であった。1954 年度には、「社会」の項目がある園など 6 領域の影響がみられた。主題と単元の使い方は、園により様々である。  2 .当時の保育雑誌等からの影響については、一部に近いものがみられたが、全体的には必ずしもそれらの影響を受けているとは言えない。その背景には、分析対象の多くは、戦前からの歴史をもち、独自に保育計画を作成したり、研究団体を有してカリキュラム研究を行っていたことが考えられる。  3.保育内容「見学」「観察」等では、地域の公共施設や店など市民生活に関連した事項が見学・観察対象にあげられている。働く人の事項もみられた。これらは、戦後のコア・カリキュラム運動にみられる地域社会の生活に着目した考えの影響である。一方で、季節や年中行事に関係する事項が多いことが対象園の月案の特徴であると指摘できる。わが国の伝統的な保育カリキュラムには、季節や年中行事に合わせた内容が多く取り入れられてきたが昭和 20 年代後半期の月案にも、その伝統が見られる。departmental bulletin pape

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