山下 洋子

立教大学学術リポジトリ

5 氏  名 山下 洋子（やました ようこ） 学 位 の 種 類 博士（文学） 報 告 番 号 甲第６０３号 学位授与年月日 2023年 3月 31日 学位授与の要件 学位規則(昭和２８年４月１日文部省令第９号) 第４条第１項該当 学 位 論 文 題 目 歌舞伎の芸談を資料とした近現代日本語の研究 審 査 委 員 （主査）水谷 隆之（立教大学大学院文学研究科教授） 尾崎 名津子（立教大学大学院文学研究科准教授） 沖森 卓也（二松学舎大学文学部教授）                           1  Ⅰ．論文の内容の要旨  （１）論文の構成 第 1 章 はじめに 第 2 章 本論文の資料 第 3 章 芸談における歌舞伎用語の概観 1．8 代目市川団蔵と 2 代目中村芝鶴のことば 2．8 代目坂東三津五郎のことば 3．本論文で検討することば 第 4 章 ことばの結びつきの問題 1.歌舞伎のことばとしての「見得を切る」 2．歌舞伎用語「とんぼ」と動詞の結びつき 3．まとめ 第 5 章 語形の問題 1．はじめに 2．「芝居」の語形 3．「黒衣・黒子」の語形 4．まとめ 第 6 章 意味の問題 1．「芝居」の意味 2．「黒衣・黒子」の意味 3．まとめ 第 7 章 使用語彙の変化 1．「役割」から「配役」への変化 2．芸談の使用 3．演劇評論家による使用 4．新聞の使用 5．国語辞典の掲載 6．「配役」について 7．「役割」について 8．まとめ 第 8 章 終章 参考文献・旧稿の関係    2 （２）論文の内容要旨  本論文は、歌舞伎役者や関係者の残した「芸談」（自伝・随筆・評伝を含む）を資料として、近現代日本語史における日常語と歌舞伎用語との影響関係を調査し、言語資料としての「芸談」の有用性を検証するものである。具体的には、次の２点の検証を進めている。 ①歌舞伎俳優やその関係者によって使われた歌舞伎用語が、明治時代から現代までにどのように変化しているのかを明らかにする。 ②「芸談」が、日本語、特に、近代から現代の日本語について調べる資料として有用であることを証明する。 第１章では、従来日本語研究で注目されることが無かった「芸談」について、歌舞伎用語が日常語と深い繋がりがあることをふまえた上で、時代的背景や歌舞伎役者の立場・役割などを軸に日本語資料としての特性を整理する。「芸談」は、国立国会図書館その他によって整備が進む現状のデータベースだけではカバーしきれていない分野を埋めるものだと指摘した上で、話し言葉の資料としての可能性も示唆する。第２章では、資料となる「芸談」について、これまで網羅的に扱われてこなかったと述べ、明治から戦後までの間（1868～1949 年）に活躍した歌舞伎俳優たちの言葉を伝える 100 冊超を収集し、歌舞伎役者の生年等をもとに整理する。第３章では、数少ない歌舞伎役者自筆の「芸談」を用いて、歌舞伎用語を概観する。具体的には８代目市川団蔵・２代目中村芝鶴・８代目坂東三津五郎の「芸談」を取り上げ、「現代の歌舞伎ではすでに使われなくなっていることば」「別の言い方に変化していることば」「現代でも同じように使っていることば」に分類する。その中で、現代では意識されない歌舞伎用語の地域差が、明治・大正時代には存在していたことを指摘。また、８代目坂東三津五郎が「ことばに強い関心を持っていた歌舞伎俳優」であることを述べた上で、歌舞伎界に残る伝統的なアクセントや語形・用語の変遷を記述する。歌舞伎役者と能楽師との繋がりによって、能の言葉が歌舞伎の言葉に入り込んでいく様子を描き出すほか、上方歌舞伎の影響を受けて東京の歌舞伎用語が変化していく様子にも言及する。そして、これらをもとにして、次章以降で詳述する語句を絞り込んでいる。 第４章以降は、語彙・語形・意味・表記・コロケーションの観点から具体的分析を進めている。第４章では、「見得を切る」「とんぼを切る」「幕を切る」に注目して、名詞と動詞の結びつきや意味の変化について考察する。第５章では「芝居（シバイ／シバヤ）」「黒衣・黒子（クロコ／クロゴなど）」の語形の変遷に注目し、単なる語形の揺れではなく別語が複雑に混淆してきた様子を描き出す。また、それを通じて「芸談」のフリガナが語形を調査する資料として有効であることも示している。第６章は意味の側から「芝居」「黒衣・黒子」の使用を追い、日常語の中に入り込んでいく状況を詳述する。第７章では「役割／配役」という語の使用をめぐって、ラジオなどで一般に使われる「役割」が歌舞伎用語でも広がる様子が示される。第８章では、当初掲げた２点がどちらも成り立つことが立証されたことを述べた上で、「芸談」を広く日本語資料・歌舞伎研究資料に資するための「集成」にまとめ上げることの利点を説き、提言をもって結んでいる。  3  Ⅱ．論文審査の結果の要旨  （１）論文の特徴 本論文は、申請者が広く収集した「芸談」を資料として、歌舞伎用語の変遷を具体的に分析するとともに、日本語資料としての「芸談」の意義を検証した論文である。「芸談」は、歌舞伎界という閉じた位相の資料であることや、歌舞伎についての深い知識を必要とする扱いの難しさから、歌舞伎研究では部分的な利用があるものの、従来の日本語学研究においてはほとんど手つかずの状態であった。こうした研究状況に対し、申請者は自ら稀覯書を含めた 100 冊を超える「芸談」を収集し、歌舞伎に対する深い造詣を以て「芸談」を読み解き、その資料的価値や言語資料として使用する際の扱い方を指摘する。そこから申請者は、「芸談」に見られる歌舞伎用語を具体的に取り上げて、語彙・意味・文法といった多角的視点から言語変化とその要因を指摘する。合わせて、アクセント辞典の編纂に携わった専門知識を生かして、「芸談」のアクセント資料としての可能性についても検討する。その中で、新しいメディアの登場に伴って、歌舞伎用語が閉じた位相語から一般語彙と接触していく様子を描き出している。また、「歌舞伎用語」という従来漠然としていたくくりの語彙に対して、自筆資料を精査することで明確な語彙研究の方向性を示すことにも成功している。これらのことは、歌舞伎用語の変遷において「芸談」の調査が有効に働くことを実証するとともに、「芸談」が持つ言語資料としての可能性を開拓したという点で、今後の日本語研究に与える影響の大きい極めて意義深い研究である。  （２）論文の評価 本論文は、先行研究および資料を丹念に読み込み、従来明確な定義を持たぬまま進められてきた歌舞伎用語の調査を実証的に進めている点で高く評価できる。また、これまで部分的な利用はあったにせよ「芸談」の体系的な調査は行われてこなかった中で、資料を収集・整理し、研究に堪える形で整備した意義は大きい。歌舞伎や歌舞伎役者に対する深い理解をもとに、収集した資料の分量に流されることなく冷静に論じている力作である。 歌舞伎用語は、大正時代以降に生まれた役者を境にして、前後で顕著に変化していることを指摘する点は、ラジオや録音機材などの新しいメディアや、歌舞伎界と世間をつなぐ劇評家たちの著述活動が歌舞伎言葉の変化に影響を及ぼしてきた可能性の指摘とつながり重要である。近世から続く特殊な位相語が、メディアの発達とともに日常語に入り込んでいく重要なモデルの提示に成功した点は意義深い。そして、個別の語誌だけではなく、アクセント変化や語形・表記の変遷についても「芸談」が一定の役割を果たすことを実証的かつ体系的に論じており、扱いの難しさはあるものの、日本語史の資料特性を検証するのに十分な多角的観点を「芸談」が提供できることを論じた本論文は高く評価できる。  4 明治から終戦後までの約 80年間を対象としている中で、歴史的変化があることを前提に議論が進んでいるため共時的分析に手薄な面もあるが、日常語との接触の中で言語が変化する部分に特に着目したものであり、「芸談」の可能性を探る本論文の価値は揺らがない。また、単行本を主たる研究資料にする一方で即時性・速報性のある雑誌を主な考察対象から除いている点は課題として指摘できるが、歌舞伎用語という閉じた語彙と日常生活で用いられる一般語彙との関わりを論じる上で、一般に向けて刊行された単行本の分析を核として進め、未開拓な研究の土台を整備するという方向性は一定の説得力を持つ。上方歌舞伎に関する情報には手薄な面があるものの、資料そのものの拡張や利用法の拡大だけでなく、伝記的研究から歌舞伎役者の使用方言を絞り込むなど、他分野の研究との相互発展も期待できる。特に、本研究が示した歌舞伎用語の意味や語形の分析は、歌舞伎研究などにも資するところが大きいと考えられる。そして、言語変化の理由について断定を避け、課題を示しながら慎重に議論を進めている本論文の研究態度は、「芸談」の資料性を探る基礎研究のそれとして首肯できるものである。「芸談」資料の活用の可能性を広げることが本論文の眼目である以上、本論文で導かれた課題は、今後多くの議論を呼び覚ますことは疑いない。 現在、日本語歴史コーパス（CHJ）の拡張が進められているが、膨大な言語資料の中で口頭語の歴史的変化を重点的に扱ってきたため、特定の位相の専門用語に関するデータの整備は今後の課題となっている。歌舞伎用語に関しても、日常的な言葉に少なからぬ影響を及ぼしてきたことに鑑みると、本論文で提唱されている「芸談」資料のデータベース化は意義深いものがあり、「芸談」研究の展望を開いた本論文は高い学術的価値を持つ論文と認められる。   

歌舞伎の芸談を資料とした近現代日本語の研究

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歌舞伎の芸談を資料とした近現代日本語の研究

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