Four Stages of Development in the History of Chinese Sociology from the Beginning of the 20th Century to the 1930s

Abstract

この訳稿は,1931 年4 月の『社会学刊』(第2 巻第3 期,中国社会学社)に掲載された蔡毓ソウの「中国社会学発展史上的四個時期」の全訳である。蔡は,「序」で中国の先秦諸子,古代ギリシャの哲学者プラトン,アリストテレスらの社会思想を社会学とは異なるものとしているし,また中国にはもともと社会学は存在せず,西洋から直接的に,日本から間接的に輸入されたものと述べている(1)。つまり,社会思想と社会学を峻別し,社会学は中国固有のものではなく輸入品であるとしている。蔡は,厳復がH. スペンサーのThe Study of Sociology(1873)を『群学肄言』というタイトルで翻訳・出版した1903 年から,自らの論文が擱筆された1930 年12月までの30 年弱の中国社会学の歴史を4 期に区分して論じている(2)。すなわち,第1 期:社会学が最初に輸入された時から1910 年代初期までの輸入期,第2 期:1919年の学生運動の直前から1925 年までの移植期,第3 期:1925 年から1930 年までの萌芽期,第4 期:1930 年ごろにようやく入ったとする建設期の4 期である。蔡は,1925 年5 月30 日の五・三〇運動が中国社会学の発展史上の重大なキーポイントとなるといい,萌芽期はこの時にはじまるとした。われわれはこの蔡毓ソウの論考をとおして,中国の社会学の30 年間にわたる発展の推移とその内容を具体的に知ることができる。訳者は,一つの学問の成立は研究者数が一定数に達した時,一定数の大学にカリキュラムが開設され,学科,学部が設置された時,学術団体が創設され,かつ機関誌が発行された時,他の学界,行政,さらに一般社会にその学問が認知され広まったばあいなどが指標になると考えている。だとすれば,まさに中国社会学の確立の過程を知ることができた

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