Haruka Kimura

木村 遥

Kwansei Gakuin University Repository

ハーディ・ガーディ論序説：16世紀から19世紀初頭のフランスおよびドイツ語圏における楽器構造と受容の一側面著者 木村 遥URL http://hdl.handle.net/10236/00030367－ 1 －論 文 内 容 の 要 旨　本論文は、木村遥氏が博士前期課程より取り組んできたハーディ・ガーディという楽器に関する研究の成果である。　ハーディ・ガーディは、中世以来ヨーロッパで広く演奏された擦弦楽器である。本論文の趣旨は次の２点、（1）16世紀から17世紀にかけてハーディ・ガーディが盲目の物乞いに演奏された要因の解明、（2）18世紀以降の当該楽器の受容状況を調査したうえで楽器構造と音楽作品の関連を詳らかにすること、に集約される。　ハーディ・ガーディに関する先行研究においては、当該楽器が16世紀から17世紀には盲目の物乞いに演奏されていたことが指摘されてきた。また、18世紀になるとフランス宮廷で特に女性に演奏される傾向が認められるようになるが、こうしたフランスの状況とは対照的に、同時代のドイツ語圏においては民俗楽器と見做され続けたという。それゆえ、先述の先行研究は歴史的資料の豊富な18世紀フランスの事例に重点を置く傾向にあり、同時代のドイツ語圏における当該楽器を取り巻く音楽的状況は看過されてきた。こうした背景のもと、本論文は盲目といった身体特性が当該楽器の演奏と結びついた要因の解明、ならびに18世紀フランスで女性が演奏する傾向にあった社会的かつ音楽的背景、および18世紀ドイツ語圏における当該楽器の音楽的状況の解明を試みるものである。　第１章では、ハーディ・ガーディという楽器全体の基本情報や研究の背景が整理されている。続く第２章では、16世紀から17世紀までの受容状況および楽器構造が概観される。第３章では、18世紀のフランスにおけるハーディ・ガーディの楽器構造と音楽作品の状況について論じており、当該楽器が「宮廷音楽を演奏するもの」として改良されたことが明らかにされる。そして第４章では、18世紀ドイツ語圏におけるハーディ・ガーディの状況を詳らかにしている。そのうえで、ドイツ語圏で作曲された作品としてレオポルト・モーツァルト Leopold Mozart（1719–1787）の《農民の結婚式》LMV VIII: 6（1755）、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart（1756–1791）の《４つのメヌエット》K. 601と《４つのドイツ舞曲》K. 602（1791）の３作品を、当該楽器およびその奏者をイメージして作曲された作品として、シューベルト Franz Schubert（1797–1828）の連作歌曲集《冬の旅》D911（1827）第24曲〈辻音楽師〉を取り上げ、ハーディ・ガーディの特性を加味した考察を行っている。　以上の考察から結論として導き出されるのは次の３点である。１点目は、盲目の奏者が登場するのと同時期にハーディ・ガーディの鍵盤構造に大きな変化が生じていることである。 16世紀以降に確認できる当該氏 名学 位 の 専 攻分 野 の 名 称学 位 記 番 号学位授与の要件学位授与年月日学位論文題目論文審査委員 （主査）（副査）木　村　　　遥ハーディ・ガーディ論序説̶̶16世紀から19世紀初頭の　フランスおよびドイツ語圏における楽器構造と受容の一側面博 士（芸術学）甲文第207号（文部科学省への報告番号甲第755号）学位規則第４条第１項該当2022年３月16日小　石　かつら加　藤　哲　弘伊　東　信　宏（大阪大学大学院文学研究科教授）教 授教 授－ 2 －楽器の鍵盤構造は、演奏者の視力の有無にかかわらず視覚情報を必要としない演奏動作を誘発するものであることから、この楽器が、盲目といった演奏者の身体的特性に適したものであることが示されている。２点目は、ハーディ・ガーディが18世紀にフランスで貴族の女性に演奏される傾向にあったことである。これは、当時行われた楽器改良、装飾、当該楽器の運指法が、かねてより女性に好まれていたクラヴサンの運指と近似することに起因すると筆者は指摘している。３点目は、18世紀のドイツ語圏におけるハーディ・ガーディは、フランスとは異なり、楽器改良や演奏法の確立はなされず、民俗楽器として受容されたことを示している。しかしながら18世紀末以降にドイツ語圏で成立する《４つのメヌエット》や《４つのドイツ舞曲》においては、演奏に際して同時代のフランスのハーディ・ガーディの機構が想定されていると考えられるとして、少なくとも18世紀末にはライアーおよびその音楽作品に何らかの転機が訪れていたとしている。また、当該楽器およびその奏者をモティーフとした《冬の旅》第24曲〈辻音楽師〉のピアノの旋律分析の結果から、当作品において、17世紀以前の当該楽器のイメージと18世紀以降のフランスで洗練された演奏性能が融合している可能性が指摘されている。論 文 審 査 結 果 の 要 旨　ハーディ・ガーディの楽器構造および受容に関する本論文の考察は、16世紀から19世紀初頭のフランスとドイツ語圏を中心に据えたものである。ハーディ・ガーディの基本情報を記した第１章に続く第２章では、この楽器の鍵盤構造の変化について、演奏者の社会的地位および身体的特徴の差異と関連づけて考察している。本論文の執筆者である木村遥氏によると、ハーディ・ガーディのキー・アクションには牽引式と押上式の２種類が存在する。盲目の物乞いが当該楽器を演奏する様子を描いた絵画作品は16世紀頃から登場し、それらの作品で彼らが手にする楽器はいずれも演奏に際して視覚情報を必要としない押上式の楽器であることが、第２章の前半で指摘されている。木村氏は、こうした押上式の鍵盤構造が誘引する演奏動作は視覚に依存しないものであるとして、盲目の物乞いによる当該楽器の演奏と鍵盤構造の変化が密接な関係にあると主張している。第３章では、17世紀まで物乞いといった下級階層の人びとに演奏されてきた当該楽器が、18世紀フランスで上流階層の人びとの暮らしに取り入れられ、特に女性が演奏する傾向にあったことを1次資料の精読を通して明らかにしている。さらに、女性が当該楽器を演奏する傾向にあったことについて、当時行われたハーディ・ガーディの楽器改良によってもたらされた楽器装飾と運指法の確立に起因するものであることを明示している。第４章では、18世紀ドイツ語圏で作曲されたハーディ・ガーディを用いる作品としてレオポルト・モーツァルトの《農民の結婚式》LMV VIII: 6（1755）、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの《４つのメヌエット》K. 601と《４つのドイツ舞曲》K. 602（1791）を、この楽器ないしその奏者のイメージをモティーフとした作品としてシューベルトの連作歌曲集《冬の旅》D911（1827）第24曲〈辻音楽師〉を取り上げて考察を進めている。木村氏はヨーロッパ各地の博物館に所蔵されている当時のハーディ・ガーディを調査し、18世紀ドイツ語圏においては、ハーディ・ガーディに改良が施されなかったことを明らかにしたうえで、同時代にフランスで改良された当該楽器との比較を通して、ドイツ語圏におけるハーディ・ガーディが民俗楽器として扱われていたと主張している。その根拠は、18世紀にドイツ語圏で製作されたハーディ・ガーディのうち、現存するもの全てが全音階の演奏を想定した鍵盤配列であること、全音階で構成される旋律がドイツ語圏の民俗音楽の特徴の１つであることにある。また、こうした旋律の特徴は、上記の《農民の結婚式》における当該楽器の旋律にも現れているという。つまり、フランスでは既存の宮廷音楽にあわせて楽器が改良されたのに対して、ドイツ語圏を中心に活動したレオポルトは、ハーディ・ガーディという民俗楽器に合わせて音楽作品を作曲したという差異が認められるのである。こうした「音楽主体か楽器主体か」といった、いわば両地域の文化の取り入れ方の違いは、フランスとドイツ語圏においてハーディ・ガー－ 3 －ディが演奏性能の異なる楽器として発展した要因であると木村氏は主張する。しかしながら1791年にアマデウスが作曲した《４つのメヌエット》や《４つのドイツ舞曲》には、ドイツ語圏のハーディ・ガーディでは演奏できない音遣いがなされているとして、少なくとも18世紀末には当該楽器およびその作品に何らかの転機が訪れていた可能性をも示唆している。　本論文は、音楽学の視点のみならず楽器の象徴性について図像学的観点から考察したものでもあるが、社会的象徴性を中心に取り上げている。研究対象が音楽およびそれを奏でる楽器であることをふまえると、視覚的および聴覚的な表象性にも言及すべきであり、これらは今後の課題であろう。　審査委員３名は、論文の審査並びに2022年２月８日に実施した論文発表と審査会での口頭試問の結果により、木村遥氏が博士（芸術学）の学位を受けるに値すると判断し、ここに報告する。

ハーディ・ガーディ論序説：16世紀から19世紀初頭のフランスおよびドイツ語圏における楽器構造と受容の一側面

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