地域資源としての古文書を考える―川根本町殿岡家文書の調査研究―

Abstract

その他研究 川根本町の殿岡家が所蔵する古文書を調査し、古文書目録を作成してその散逸を防ぐとともに、地域資源としての古文書の活用方法を探ることを目的とする。 また、殿岡家文書は殿岡嗽石(1851―1933)によって蓄積された文書を主とする。嗽石は、山林経営や地域郵便局の開設・運営に関わった、いわゆる地方名望家である。嗽石のような地方名望家が担った「公」的な役割を解明し、地域社会に固有な歴史・生活・文化を考察する。令和元年9月6~8日、11月15~17日 : 殿岡家(川根本町千頭)において、史料調査を実施。1月以降、目録データ入力・確認作業。令和2年10月~3月 : 殿岡家より史料を借用し、毎週ゼミ終了後に史料調査を実施。令和3年6月19~20日、7月3~4日、12月4~5日 : 殿岡家より史料を借用し、大学内(自由創造工房)において史料調査を実施。そのほか、ゼミ後に補充調査を実施。令和3年11月21日 : 現地見学(川根本町殿岡家、資料館やまびこなど)。令和4年3月9日 : 報告会「地域資源としての古文書を考える―川根本町殿岡家文書の調査研究―」を開催(オンライン) 第一の目的である古文書調査については、3年間で約3300点余の目録を作成することができた。古文書は1点ごとに中性紙封筒に収納して保存をはかるとともに、作成した目録はデータベース化して利用体制を整えた。調査においては、学生や卒業生をはじめ、学外から協力者を得て実施し、地域研究における古文書の重要性について実践的に学ぶことができた。 3年間の調査内容については、最終報告会において、水谷悟が「調査の概要について」として報告した。 地方名望家としての嗽石と地域社会の考察については、最終報告会において二つの事例を紹介した。協力者の伴野文亮(東北大学助教)は「川根倶楽部と殿岡漱石」として、1896(明治29)年に創立された川根倶楽部を事例に、嗽石が大井川によって分断されていた志太郡東川根村と榛原郡上川根村の住民の新しい地域づくりを主導したことを紹介した。西田かほる「殿岡嗽石と日本平―神社建設と日本新八景―」では、927(昭和2)年に嗽石が樹木の神を祀る殖樹神社を日本平に建設しようとした事例から、山林経営者であり全国組織である大日本山林会の特別会員であった嗽石の山林事業に対する思想を、当時の社会背景とともに考察した。 殿岡家文書の調査を継続し、目録を作成して誰もが史料を利用できる体制を整えることにより、地域に成果を還元する。あわせて殿岡家文書に限らず、地域を考える上で古文書(地域の歴史)がいかに重要であるかを、川根本町の方々とともに考える機会を設ける。その一環として、川根本町において、史料の展示をはじめ、中高校生を交えた学習会なども計画したい。 史料内容の分析については、『静岡文化芸術大学研究紀要』などに発表する

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