Kazumasa Hashimoto

橋本 和正

Kumamoto University Repository

別紙様式８  研 究 主 論 文 抄 録  論文題目 東アジアに分布するタイラギ類の遺伝的・形態学的多様性に関する研究   熊本大学大学院自然科学教育部 理学専攻    生物科学コース           （ 主任指導 逸見 泰久 教授 ）  論文提出者       橋本 和正    主論文要旨 本研究の対象は、ハボウキガイ科の海産二枚貝タイラギである。タイラギは東アジアの浅海域に広く分布し、その殻長は 30～40 cmに達する。閉殻筋（いわゆる貝柱）や外套膜が美味なため、日本、韓国及び中国では重要な漁獲対象の一つである。1960 年代には有明海で約３万トン／年（殻付き重量）もの漁獲量を記録するなど、かつては日本各地に豊富に生息していた。しかしその後、干潟の埋め立て、海洋環境の悪化、乱獲等により、各地でタイラギ資源は急速に減少しつつある。特に有明海ではタイラギ資源がほぼ壊滅したため、2012年～2021年現在まで休漁措置が継続中だが、資源の回復や漁業再開の見通しは全く立っていない。そのため、漁業関係者からの強い要望に基づき、タイラギ稚貝を人工生産するための技術開発や、生産された稚貝の干潟への移植試験が、有明海の一部海域で開始されている。  その一方で、タイラギの分子系統解析はいまだ十分にはなされていない。日本の浅海性タイラギには、貝殻表面が平滑な無鱗型と、多数のトゲで覆われている有鱗型の２型が従来から認識されてきた。しかし、中間的な形態を呈する個体も珍しくない。泥底に生息していた無鱗型個体を砂質干潟へ移植したところ、貝殻表面に多数のトゲが生じた例も報告されている。また、2011 年には大分県南部の蒲江海域で、この２型とは全く異なるＳ型タイラギの分布が日本で初めて報告された。日本ではこれまで全国規模でタイラギが調査された事例は無いため、日本におけるこれら３型の分布や、その遺伝的・形態学的多様性は不明である。  今後、有明海だけでなく瀬戸内海など各地で、種苗生産と稚貝移植によるタイラギ資源回復が進められる可能性が高い。しかし、遺伝子や形態に関する分析がほとんど行われていない現状で、そのような取り組みを進めるのは極めて危険である。誤って交雑稚貝を生産してしまう、元々生息していなかった遺伝子型を移植によって導入してしまう等、様々なリスクが考えられるためである。  そこで本研究では、日本及び東アジアのタイラギを対象に、遺伝的及び形態学的多様性の解明、更には非破壊的系群判別法の開発にも取り組んだ。学位論文は第１章から第６章までの構成とした。  第１章ではタイラギに関する基本的知見、漁獲対象としてのタイラギをとりまく現状、および本研究の目的を説明した。  第２章では、タイラギ分類学の歴史的経緯をまとめた。東アジアのタイラギは、イギリス、ドイツなど欧州の博物学者によって 18～19世紀に記載された種が多い。そのため、科学的裏付けに乏しいまま命名された学名が少なくない。そこで、これらのタイラギ記載文献や、タイラギの分類に関する近年の論文も含め、それらの内容及び問題点を時系列的に整理した。また、現在も DNAデータに依拠しない粗雑な議論が展開されていること、それらの主張がタイラギ分類の混乱を助長していること等を指摘した。  第３章では、日本各地及び韓国南部から採集したタイラギ 664 個体について、ミトコンドリア COI 遺伝子座をシーケンスした。既報の塩基配列も加えて解析したところ、東アジア全体で６系群（L1～L6）、うち３系群（L1, L2, L6）が日本沿岸に分布していることを確認した。日本固有の系群は発見されなかった。これら３系群は、いずれも系群間の変異が系群内変異の 10倍を超えており、互いに別種とすべきレベルで分化していることも確認した。これら３系群の分布パターンは互いに異なっており、L1 の分布範囲は L2 のそれよりもやや高緯度側に位置していたことから、海水温が両者の分布を規定していることが示唆された。一方 L6は、中国沿岸では福建省以南に、日本周辺では大分県蒲江及び備讃瀬戸に分布が確認された。日本における L6 は、今世紀に入ってから確認された集団であるため、中国南部から近年に日本へ移入した可能性が示唆された。また、３系群それぞれについて地域間の遺伝的分化を調べたところ、L1では日本全体で１集団と判定されたが、L2では日本の集団が長崎県五島とそれ以外の地域とに分化していることが確認された。タイラギは浮遊幼生期が３週間以上と長いため、高い分散移動能力を持つと考えられるが、水温などの環境要因だけでなく、地形など他の要因もこのような地域間分化に貢献した可能性が考えられた。 第４章では、第３章で扱ったタイラギについて、貝殻形態の多変量解析を行った。判別分析の結果、日本に分布する３系群の間で形態に差のあることが確認されたが、その分離は完全ではなかった。このことは、貝殻形態のみで３系群を確実に判別することが困難なことを示している。また、それぞれの系群において、産地間の形態の差も示された。こうした地域間の形態の差が遺伝子によるものか、環境によるものかは、今後の検討課題である。 第５章では、タイラギ親貝の系群を非破壊的かつ簡易に判別する方法を開発した。有明海では既に天然親貝を用いた種苗生産が始まっているが、同海域には２系群（L1, L2）が分布しており、両者を貝殻形態で判別するのは困難なためである。系群の判定には PCRではなく LAMP 法を採用し、L1 と L2 間の COI 塩基配列の差異に基づき、それぞれを特異的に検出するプライマーセットを開発した。更に、綿棒で外套膜を擦ることにより、タイラギに刺激を与えることなく DNAを回収、抽出する方法も併せて開発した。これらの技術により、種苗生産に用いる親貝の確実な系群判別が可能となった。 第６章では、第５章までの結果に基づき、東アジアにおけるタイラギの系統地理、学名の適用、保全のあり方について議論した。  本研究により、日本周辺のタイラギの遺伝的構造、系群と形態との関係、地域間の遺伝的分化等が初めて明らかとなった。また、タイラギ資源の回復に資する親貝系群簡易判別法も開発された。これらの知見や技術は、絶滅が心配されるタイラギの資源回復に大きく貢献するものである。  

東アジアに分布するタイラギ類の遺伝的・形態学的多様性に関する研究

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