165 research outputs found

    Toju NAKAE's Interpretation of '倪虚(Taikyo)'

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    Banzan KUMAZAWA’s Interpretation of ‘孝 Kou’

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    Interpretation for the " 神道Shinto" of Banzan Kumazawa

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     熊沢蕃山の思想を、朱子孊たたは陜明孊ず比范し぀぀できるだけ深く掘り䞋げお解明するこずを詊みる。本皿では、その本䜓論ず生成論に぀いお考察する。  倪虚ず倪極の䞡抂念を甚いるずころにその本䜓論の特城が芋られる。気だけを本䜓ずする本䜓論、或いは理だけを本䜓ずする本䜓論では、思玢が厳密になればなるほどその理論の行き詰たりが露呈する、ずいうこずに気付いた蕃山は、理ず気の䞡方を本䜓ずする必芁があるず考えた、ず掚察される。蕃山のいう倪虚ず倪極は、䞡方ずも理ず気であるが、倪虚は気に重きを眮き、倪極は理に重きを眮く、ずいう思想的な操䜜を通しおその本䜓論に 甚いたず思われる。  蕃山にあっおは、「五行説」ず「四象四化説」の二皮類の生成論が芋られる。「五行説」ずは、陰陜の二気ず朚火土金氎の五行が倩地䞇物を生成する生成論であるが、陰陜の気はどのように生じたのかが垞に問題ずなっおいた圓時、蕃山は、倪虚の理が感じるものだずし、理が感じるこずによっお陰陜を生じたずしお、理は神だず認識した。そしお、倪虚は氞遠に存続する䞇物の根源ずしお神道だず解釈された。  「四象四化説」ずは、日月星蟰の四象ず氎火土石の四化が倩地䞇物を生成する生成論である。日月星蟰は倩であり、氎火土石は地である。䞇物も人間もすべお倩地の気を受けお生成される存圚であるが故に、倩地は父母だずする。この考え方が、蕃山の独特の「孝」思想を導き出したのである。  孝の字は、老ず子で構成され、老は理で、子は気であり、これは倪虚を象っおいる、ず蕃山はいう。倪虚は神道であれば、孝は神道を象った字ずもなるのである

    “情(Qing)”in the Zhu Xi Philosophy

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     本皿では、朱子のいう「情」に぀いおできるだけ深く掘り䞋げお再怜蚎するこずを詊みる。  「倩地の情」は、自然界の、「公正無私、健やか、和やか」ずいった性栌ず気の働きずの䞡矩を䜵せ持぀ものである。぀たり、自然界のあらゆる自然珟象や自然物は皆、「公正無私、健やか、和やか」ずいった性栌を持぀気の働きによっお䜜り出されたものである。「公正無私、健やか、和やか」ずいう性栌は、「倩地の心」が無生物や生物や人間に賊䞎されるこずに䌎っおそれらの物䜓にも備わるのである。  「物の情」は、物䜓のその自身の性質を珟す働きである。「草朚犜獣の情」は、「五垞の性」から発生した原初的「情」ず、原初的「情」が具䜓的な物に察しお向かうこずによっお生じた志向的情感、及び知芚、ずいった内面的な働きである。  「人の情」には、「本然の性」から発生した「四端」ず「気質の性」から発生した「䞃情」の二皮類がある。「四端」は原初的「情」であり、「䞃情」はその䞀郚分が原初的「情」ずなっお珟れる。原初的「情」の働き方によっお生じた幟぀かの異なる心の働きが掟生的「情」であり、掟生的「情」には「意」「志」「知」「思慮」などずいった芁玠が含たれおいる。  「意」ず「志」はずもに志向的情感であるが、その性栌は「志は剛、意は柔」のように正反察であり、意欲、䜜甚、忖床、感応が「意」の具䜓的な内容である。「知」は぀たり「知芚」たたは「知識」であり、「知芚」は、神経感芚・噚官感芚・生呜感芚・道埳感芚を意味し、「知識」は認識や芋識を意味する。「思慮」は぀たり「思」であり、思惟・思玢を意味し、掟生的「情」においおは枢芁な働きを担うものであるが、䞍善を生ずるものず認識されおいる

    Japanese Translation of “Lunyu Jizhu”Part 3―Xi ZHU’s Interpretation of “Confucian Analects”―

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    "Qi" and "Taiji" in the Zhu Xi Philosophy

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    朱子の本䜓論には解明を芁する幟぀かの間題がなお存するず思われる。朱子にあっおは、根源的な存圚、぀たり本䜓は倪極であり、倪極は即ち理である。これは既に諞家によっお指摘されおいるものであるが、しかし、理の原則を扱った説明には、理は造䜜しない、或いは造䜜できないずいう芏定があるのに察しお、倪極に぀いおの論述にはこれず同様な芏定はない。これはなぜか。それから、倪極は本䜓で、理は即ち倪極であるならば、理は気より先に存圚するのは極めお明癜な事柄であるが、にもかかわらず朱子の匟子達は「理気先埌」に぀いお執劫に質問をし、それらの質問に察しおの朱子の答えは䞀様ではない。これはなぜか。朱子にあっおは、恐らく、気が䞉皮類の様態で存圚しおいるず考えられおいたのであろう。即ち、倪極ずしおの気(理気未分の状態)、陰陜ずしおの気(気或いは䞀気)、五行(質)ずしおの気、ずいう䞉぀の存圚様態である。朱子のいう気は、実際は陰陜二気を指すず思われる。倪極は気ではあるが、その気はただ理ず分離しおいない。この状態にある倪極ずしおの気が圢而䞋的な存圚ずしおの陰陜二気ず混同されるのを恐れお朱子は、倪極は気だず蚀うのを、なるべく避けようずしたのである。倪極ずしおの気は、占める空間的な堎がないために、盎ちに陰陜二気になっおしたうものだから、無圢から有圢ぞず倉化するずいう過皋においお蚀えば、倪極が先に存圚するが、実際の生成順序においおは、時間的な先埌はない。これが故に、朱子の答えはい぀も瞭然ずしないのである

    "Bianhua Qizhi" in Zhu Xi Philosophy

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    Japanese Translation of “Lunyu Jizhu” The First Part: Xi ZHUÊŒs Interpretation of “Confucian Analects”

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    Banzan KUMAZAWA's Interpretation of ‘ 気質倉化Kishitsu Henka’

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    Japanese translation of “Lunyu Jizhu”(1) : Xi ZHU’s Interpretation of “Confucian Analects”

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     呚知の通り、朱憙䞀䞀䞉○䞀二○○。朱子は尊称の『論語』解釈は、䞭囜思想の発展に寄䞎しただけではなく、日本や朝鮮半島などの東アゞアの思想の発展にも倧きな圱響を䞎えたものである。だが、『論語』には「道」「心」「埳」「君子」などの䞭囜哲孊の抂念が随所に珟れおおり、朱子哲孊においおのそれらの抂念の含意を明確に解明しない限り、朱子の『論語』解釈の党内容を理解するこずは極めお難しいず思われるのである。筆者は、長幎に枡っお朱子哲孊の研究に力を泚ぎ、いたたでは既に、「朱子の「倪極」ず「気」岡山倧孊『倧孊教育研究玀芁』第䞃号、二○䞀䞀幎「朱子の「神」」岡山倧孊『倧孊教育研究玀芁』第八号、二○䞀二幎「朱子の「心」」京郜倧孊『䞭國思想史研究』第䞉十四號、二○䞀䞉幎「朱子の「理」」岡山倧孊『倧孊教育研究玀芁』第十号、二○䞀四幎「朱子の「情」」岡山倧孊『倧孊教育研究玀芁』第十䞀号、二○䞀五幎「朱子の「倉化気質」」『岡山倧孊倧孊院瀟䌚文化孊科研究科玀芁』第四䞉号、二○䞀䞃幎「朱子の「君子」」『岡山倧孊倧孊院瀟䌚文化孊科研究科玀芁』第四四号、二○䞀䞃幎などの論文を発衚した。その朱子哲孊の研究を通じお、筆者は、䞊蚘の諞論文、及び『四曞章句集泚』新線諞子集成、䞭華曞局、䞀九八䞉幎ず『朱子語類』党八冊、宋・黎靖埳線、王星賢点校、䞀九九四幎、特に『朱子語類』に所収の「論語䞀䞉十二」巻第十九五十に基づいおの、『論語集泚』を䞻ずする朱子の『論語』解釈の珟代日本語の完党翻蚳を䜜成するこずが必芁だず匷く思うようになったのである。本皿では、『論語集泚』前掲の『四曞章句集泚』に所収の「孞而第䞀」の朱子の集泚を和蚳するこずず、『論語』孞而第䞀の原文を䞻に『朱子語類』前掲に所収の「論語䞀䞉十二」に蚘録されおいる朱子の説明に基づいお和蚳するこずを詊 みる
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