A Study of “Aliciaʼs Diary< : A Diary Betrays

Abstract

本論では「アリシアの日記」に於ける悲劇を運命の働きによるものと見た上で、日記体がその過程を表現するのにどのように貢献しているかを考察する。一人称で語る日記体は書き手の内面を有利に描写しているように見えるが、一方でその主観性は、例えば妹の婚約者への対応に見られるように書き手の現実認識を誤らせ、その意図を転覆させ周りの者を皮肉な結末へと導いていく。ハーディは、本短編に於いて自身にとって実験とも言える一人称の日記体を用いることで、自らの日記に裏切られ、運命によって追い詰められるアリシアの姿を迫真性をもって描くのに成功している

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Kanto Gakuin University IR

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Last time updated on 19/11/2016

This paper was published in Kanto Gakuin University IR.

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