海洋中深層における溶存酸素濃度とキタゾウアザラシの採餌行動の関係

Abstract

総合研究大学院大学修士(理学)2024海洋の中深層(200-1000 m)には魚類が豊富に生息し、潜水性の海生哺乳類にとって重要な採餌場所となっている。中深層性の魚類に対して生理・生態学的に強い影響を与える環境パラメータの一つに、溶存酸素濃度が挙げられる。溶存酸素濃度は深度とともに低下し、酸素制限層(0.7-2.0 mg/L)や酸素極小層(< 0.7 mg/L)と呼ばれる低酸素層が中深層に形成されている。近年地球規模で進む海洋貧酸素化は、中深層性の生物の生存や代謝活性に負の影響を及ぼすと懸念されている。キタゾウアザラシは、中深層における溶存酸素濃度の空間的変動が大きい北太平洋東部を広く回遊し、中深層で採餌する。キタゾウアザラシの主な餌生物である中深層性の魚類は日周鉛直移動を行い、その鉛直分布や代謝活性は、低酸素の影響を受けると考えられる。すなわち、溶存酸素濃度の時空間変動は、中深層性魚類の分布深度や代謝活性の変化を通じてキタゾウアザラシの採餌行動に影響を与えると考えられる。しかし、キタゾウアザラシの行動する時空間スケールに合わせて海中の溶存酸素濃度を高頻度で記録することは難しく、溶存酸素濃度の違いが採餌行動にどのような影響を及ぼすか、これまでよくわかっていなかった。そこで、新たに開発されたキタゾウアザラシに装着可能な溶存酸素濃度記録計を用いて、キタゾウアザラシが経験する溶存酸素濃度の深度プロファイルの海域間差と、溶存酸素濃度がキタゾウアザラシの採餌行動に及ぼす影響を明らかにすることを本研究の目的とした。 2022 年から2023年にかけて、カリフォルニア州アニョヌエボ州立公園で、繁殖後回遊中の雌のキタゾウアザラシ 10 個体に溶存酸素濃度記録計を装着して溶存酸素濃度を調べた。また、アルゴス衛星発信機を頭部に装着して移動経路を調べ、加速度記録計を下顎に装着して潜水深度と採餌行動を調べた。 その結果、キタゾウアザラシが経験した溶存酸素濃度の深度プロファイルは、回遊していた海域(カリフォルニア海流域、北太平洋東部沖合、アラスカ湾)によって異なり、カリフォルニア海流域では特に低酸素層に到達する深度は約290-400 mと浅かった。これはカリフォルニア海流域の湧昇流の影響だと考えられる。一方、北太平洋東部沖合とアラスカ湾では低酸素層に到達する深度は約380-600 mと深かったものの、海嶺や海山の周辺の一部海域では200-300 mと浅い深度で低酸素層に到達していた。これらの特異な深度プロファイルは、海底地形の影響で局地的に鉛直混合が生じていたことを示すと考えられる。 このように、今回用いた動物装着型の溶存酸素濃度記録計によって、海洋循環の物理モデルからは予測が難しい微細な時空間スケールで、溶存酸素濃度の水平・鉛直分布を捉えられることが明らかになった。また、キタゾウアザラシは、特に昼間に低酸素層の深度まで頻繁に潜水し、酸素制限層や酸素極小層で下顎の加速度記録から調べた採餌速度が高くなる傾向があった。キタゾウアザラシは低酸素環境下で代謝を抑制している餌生物種や、酸素制限層の上部境界付近に集積する餌生物種を狙うことで採餌速度を上げていると考えられる。これまで、中深層における低酸素層の拡大は、魚類の生息可能深度を制限するなど、中長期的に海洋生態系に負の影響を与えると考えられてきた。しかし、本研究の結果は中深層の溶存酸素濃度の低下は、短期的にはキタゾウアザラシの採餌速度を上昇させる正の影響を与える可能性を示唆している。本研究で得られた海洋中深層の溶存酸素濃度とキタゾウアザラシの採餌行動との関係に関する知見は、進行しつつある貧酸素化が世界の様々な海域の海洋性高次捕食動物に及ぼす影響を評価する上で有用であると考えられる

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