Article thumbnail

ギリシア人が見た日本カザンツァキスとカズダグリス <論文>

By Marianna Spanaki

Abstract

ギリシアと日本との接触は、最近まで限られたものであり、今世紀に日本を訪れたギリシア人はごく僅かであった。その中に、日本の印象を旅行記と小説の二つの形式で描いた作家、カザンツァキスとカズダグリスがいる。本稿では、両作家が、どのように日本を観察したか、その問題点や特徴、或いは、ギリシャ性と日本文化に映し出された他性(otherness)をどのように認識したかを分析することにする。 日中戦争が勃発する前夜、1935年の2月から5月に来日したカザンツァキスの旅行記『旅の途次に、日本・中国』と小説『石の庭』は、1930年代の歴史的な事件に根ざしている。『旅の途次に、日本・中国』では、カザンツァキスは、黄色人種に対する白色人種としての自己認識を通して、対照的に他性を描いている。『石の庭』の登場人物の中で、中国人の恋人に復讐するため、中国に潜伏、スパイ活動をする日本人ヨシロは、西洋化された新しい女性で、アジアの覇権を狙い中国勢力を拡大していく日本の姿でもある。また、『石の庭』には、知性や合理的な分析ではなく、直観により経験を理解するというベルグソンの思想が見られる。更に、カザンツァキスは、当時の政治的状況と哲学とを結びつけ、太平洋における第四番目の列強となるべく、より高い次元で西洋文明化と伝統維持とを行う日本を、サムライ精神を信奉するアジアのドンキホーテとして描いている。 一方、冷戦、ギリシアの軍事政権、ヨーロッパの軍備縮小と反核運動の時代のカズダグリスは、1980年に来日し、旅行記『陸と海の旅路』、小説『マリアは水の首都を訪れる』を書く。文学的に行動を記録する日記形式の『陸と海の旅路』には、日本の精神的要素が強調され、言葉が通じない外国人が、異国の体験に関して、自国と比較して得た見解が述べられている。文化の真髄と現代生活に焦点が当てられると同時に、観光のための文化の修正に対する批判的風刺的な観察も見られるギリシア人のために書かれた日本に関する小品である。小説『マリアは水の首都を訪れる』には、広島を訪ねたマリアが政治的抵抗意識に目覚め、積極的な運動に参加する過程を通して、多義的なマリアの世界が、能に見られる三部構成で展開される。そして、そこには、人間の無力さと広島の被爆という歴史の実体験への恐怖が、明らかにされる。 異なる時代の二人のギリシア人作家は、日本に対する各時代の姿勢を示唆するとともに、戦争というものの中核にある精神的感情的パラドクスを探求した。カザンツァキスは、日本を、全著作の枠組を補足するものと見なし、日本が、世界再生の種を与え得るとの希望を抱く。これに対して、カズダグリスは、日本文化を、読者の文学的興味の境界から同時代的ギリシア文学の最前線へと移行することに成功し、同時に、民族中心主義を否定する立場を暗示している

Topics: 990
Publisher: ギリシア語・文学研究会
Year: 1995
OAI identifier: oai:ir.lib.hiroshima-u.ac.jp:00032764
Journal:
Download PDF:
Sorry, we are unable to provide the full text but you may find it at the following location(s):
  • http://ir.lib.hiroshima-u.ac.j... (external link)
  • http://ir.lib.hiroshima-u.ac.j... (external link)
  • Suggested articles


    To submit an update or takedown request for this paper, please submit an Update/Correction/Removal Request.